足利尊氏という名前に対する戦前の日本人の反応を今日実感することは難しい。たとえばこんなこともあった。
齋藤実内閣の商工大臣だった中島久万吉が、同人雑誌に足利尊氏を評価した文章を書いた。それは同人雑誌ということもあって、話題にもならなかった。
ところがそれから10年以上も経ってから、その文章が雑誌『現代』に再録された時に問題が起こった。「大臣たる者が逆賊足利尊氏を賛美するとは日本の国体(国の体質、つまり国柄)をわきまえない不心得者だ」というわけである。それは国会でも問題になった。
昭和9年(1934年)9月4日、5日の衆議院予算総会では栗原彦三郎が、同月7日の貴族院本会議では菊池武夫、三室戸敬光らが激しい弾劾演説を行った。菊池武夫は南朝の忠臣で楠木正成一族と共に、最後まで足利方と戦った菊池武光の一族の子孫で、明治になってから男爵を授けられた家の出身である。
あたかも600年以上も前の南朝と北朝(足利幕府)との対立が再開された感じであった。このため中島商工大臣は同月9日に辞任した。つまり戦前の教科書や書物では、尊氏は大忠臣の楠木正成や新田義貞らを殺し、後醍醐天皇を吉野に追っ払った大逆賊なので、その尊氏を賛美することは国民教育の破壊者の如く思われたのであった。
ところが、戦後はそれが一転した。吉川英治は『私本太平記』を書いた時、足利尊氏を中心的ヒーローとして描いた。ここでは楠木正成は平和愛好家のような描がかれ方をしている。何年か前のNHKの大河ドラマの設定もそのようになっていた。
南朝と北朝が合体してから600年以上も経った今日、逆賊とか忠臣という視点はあまり意味がない。そういう視点からではなく、人物の偉さの「絶対値」で考えてみたらどうだろうか。
絶対値というのは数字でプラス・マイナスを考えないで数の大きさだけを指す言い方である。たとえばヒトラーは価値観を入れて見れば巨悪、つまり大きなマイナスになる人物になろうが、価値観によるプラス・マイナスの記号を取り去れば、強力無比のリーダーだったということになる。
足利尊氏も何はともあれ、北條幕府を潰すのに大功があり、その後に出来た建武の中興の天皇親政の政府を潰し、ついに足利幕府つまり室町幕府を作った男だから、抜群のリーダーシップを持った人物であったことに間違いない。とにかく器量が大きいのである。
源頼朝でも見たように、武士の棟梁になるには家系が非常に重要である。武士は系図尊重主義団体なのだ。源頼朝が鎌倉幕府を開くことの出来た最大要因の一つは、彼が源氏の武士集団の祖と仰がれる源義家(八幡太郎)の直系の長男だったからである。
この点、足利家も八幡太郎義家の子、義国の直系である。同じく義国の直系には新田義貞がいて、この二人は後に覇権を争うことになり、尊氏が勝ったのである。ちなみに徳川家は新田家の子孫で源氏ということになっている。
足利・新田の両家は家格が同じであったが、後になると新田氏は北條幕府とうまくゆかずに無位無冠の地方豪族にすぎなくなる。一方、足利利家は北條幕府の下で栄えており、上総、三河両国の守護職と35箇庄を領有していた。尊氏(若い頃は高氏)はこれだけの領地を父親から譲り受けている。
そして15歳の時に従五位下・治部大輔に任官しているが、当時の将軍北條高時は正五位下である。つまり尊氏の継いだ足利家は北條幕府の下の大豪族であり、武士団の系統から言えば、元来が平家の系統の北條氏よりも本流であった。
そんなことは日本中の武士が知っていた。しかも彼は、16代執権にもなった北條守時(赤橋守時)の娘の登子と結婚している。
その尊氏は楠木正成を千早城に攻めるために上京したのだが、一転して反北條となり、後醍醐天皇が隠岐の島から帰京する前に、京都を支配し、武士たちに御教書という通達を出している。
後に新田・楠木らの朝廷軍に追われて九州に行くが、すぐに勢力を盛り返して、逆に楠木正成や新田義貞をも滅ぼすのである。彼は大局を見る政治家であったが、ここぞという決戦では、北九州でも関東でも勝っている。
後に弟や息子に離反され、何度も窮地に落ち入りながらも不死鳥のように立ち直る。その行動の根源には祖父の足利家時が「わが命をちぢめて三代の中に天下を取らしめ給へ」と八幡大菩薩に祈って「置文」を残し、切腹したことがあった。この文章を後に見たことが、自分の幕府を作る決心を尊氏に固めさせたと思われる。
尊氏の一生は朝廷に反逆を起こすことと、自分に対して反逆を起こされることの連続であった。何度それを繰り返したことであろう。しかし彼には究極の目的があった。祖父の遺言、つまり置文のメッセージである。
源氏の嫡流とも言える足利家は、平家の北條幕府に取って替る幕府を作るのだ―――という遺命である。その大きな目的があったから、彼は自分が仕えた天皇に叛くこともでき、大功のあった弟も殺し、その弟の養子になった自分の息子も殺すこともできたのである。かくて北條幕府に代わって、再び源氏の室町幕府ができたのであった。
渡部昇一
〈第16
「風の群像―小説・足利尊氏」
杉本 苑子著
講談社刊
本体667円