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逆転の発想(39) 危機においては恐れるより準備せよ(北条時宗)

指導者たる者かくあるべし

 二度目の元寇に備え
 蒙古(元)の世祖・フビライが2万5千の元・高麗の連合軍を最初に博多湾に送り込んだのは、1274年(文永11年)10月のことだった(文永の役)。時に迎え撃つ鎌倉幕府の執権北条時宗(ほうじょう・ときむね)は、24歳の若さだった。
 
 フビライは、3年前から数次にわたり日本に国交を求める使者を送り込んでいたが、時宗は無視し続けた。国交とは名ばかりで日本に朝貢を求め、属国化しようという狙いを見抜いたからだった。蹂躙され独立を失った高麗の二の舞になるのは明らかだった。軍政を敷く元にゲリラ的に抵抗を続ける高麗の三別抄組織の使者から元の過酷な収奪の情報も得ていた。
 
 備えは十分ではなかったが、西国の御家人たちは上陸してきた敵をかろうじて内陸の太宰府の手前で食い止め、いったん船に引き揚げた侵略軍は折からの強風で船が難破し、危機は去った。しかしフビライが簡単に引き下がるとは思えない。時宗は第二波の襲来に万全を期すことを誓った。
 
 御家人たちの間では強力な武器を持つ元軍の猛攻を体験し、「とてもかなわない」と厭戦(えんせん)機運も芽生えていた。外交を司るべき朝廷は、全国の寺社に、「敵国調伏」の祈祷を指示するばかり。祈祷によって「神風」が吹いて撃退の実が挙がったとして以前にまして神仏頼みに熱が入る始末だった。
 
 時宗は、軍事を任された武家政権の面子にかけても冷静に撃退の方策を練った。
 
 まずは情報が必要である。敵がいつ、どこへどれぐらいの兵力でやってくるか。そしてどう備えを強化するかだ。敵の軍備と戦法は掌握した。それへの対策を急ぐ必要がある。
 
 さらに、怖気づく戦意をどう高揚させるかも重要だ。
 
 経験の分析と対応
 東国の武家政権にとって、九州は支配権が十分に及ばない地域だった。同じ御家人(武士)と言っても武家政権を開いた頼朝挙兵以来源氏を支えてきた東国のそれとは違い幕府への忠誠心が低いのは否めない。時宗は九州にある九か国の守護を、北条一門に置き換えた。
 
 一次襲来の苦戦は、上陸を容易に許したことにある。博多湾周辺の海岸線に高さ2メートルの防塁を築くことにした。急がねばならない。そこからが時宗の智恵である。高麗に上陸して先制攻撃すると宣言して、御家人の名簿を提出させて、動員兵力と船の調達予定と領地を書き出させた。
 
 回答の多くは、「兵糧は出せるが、高麗侵攻は手伝えない」と出兵を躊躇するものだった。時宗も、本気で高麗侵攻を考えていたかどうかは疑わしい。しかしこの名簿を防塁建設に利用する。領地の広さに応じて受け持ちの責任地区と兵糧供出を割り振った。さらに、普請の進捗と、来たるべき戦闘での奮戦具合によって懲罰も課す、と宣布した。
 
 武士と幕府の関係は、働き具合によって所領の安堵と恩賞が幕府から下されるという、ある意味でドライな関係でもある。それを逆手にとって遠地九州の武士たちを督戦し、掌握力を高めることになった。
 
 戦意の高揚
 精神面の底支えのため、時宗は、元の侵略で滅びた中国・宋から禅僧の無学祖元を迎えた。祖元は、フビライ軍に寺を包囲され、殺されそうになった時に泰然と「人は元、『空』である。私の首をを大刀で斬っても、秋風を斬るようなものだ」と偈(げ=仏教詩)を唱え、取り囲んだ兵を震え上がらせたという逸話を持つ。時宗にも、「恐れることはない、迷わず突き進め」と諭している。時宗のみならず、命を惜しむなの教えは武士たちにも浸透した。
 
 第二波の襲来は、1281年(弘安4年)7月のことだった。高麗から出航した東路軍4万に加えて、滅びた宋の遺兵を主力とする江南軍10万の大軍勢が二手に分かれて北九州に押しかけた。しかし、両軍が決して一枚岩ではないこと、さらに異民族に出兵を命じられた江南軍の士気が決して高くないことは、無学祖元らからの情報で把握されていた。
 
 御家人たちが築いた海岸線の防塁も、主要上陸予想地点では完成しており、侵略軍は上陸を断念し、海上を彷徨った。所領安堵を願う御家人たちは文字通り「一所懸命」の戦いぶりで、軍船に奇襲も仕掛け、台風襲来もあり大損害を出して撤収した。
 
 元寇の後、「加持祈祷によって神風が二度も吹いた」ことばかりが強調されたが、それは、無策であった朝廷と一部仏教者たちの「祈祷手柄」の宣伝でしかない。
 
 幕府の合理的対応の有効性は吹き飛んで、今も「神風」ばかりの元寇物語となっている。それでは偶然の勝利でしかない。教訓はない。
 
 さて、コロナ。冬にはさらに大きな感染の波が来る。恐れてばかりでは何も始まらない。われわれは手探りでの第一波、そして第二波に対処してきた。そこで「敵」についての新たな知識も得てきた。対処法もおぼろげながら見えてきた。その教訓をどう活かして勝つための対策を構築するか、まさに正念場に差しかかっている。
 
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
 
 
 
※参考文献
『日本の歴史8 蒙古襲来』黒田俊雄著

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