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マネジメント

挑戦の決断(4) 価格の決定権を消費者に取り戻す・下(ダイエー創業者・中内㓛)

指導者たる者かくあるべし

 危機をチャンスに
 カリスマ創業者の中内㓛が「流通革命」の旗を掲げ、1960、70年代の高度成長時代に快進撃を続けてきたダイエーも80年代に入ると、破竹の勢いにかげりが見えてきた。
 
 1972年に小売業界の売上で三越を抜いてトップに躍り出て、1980年には売上高1兆円を突破した。ところが83年から3年連続でグループの連結決算は赤字を計上することになる。
 
 中内がしゃにむに進めてきた売上至上主義が壁に突き当たる。また、安く買った土地に次々と自社店舗を展開することで地価を上げ、銀行から多額の融資を引き出し、さらに店舗用地を取得するという経営手法も有利子負債を膨らまし続け経営を圧迫していた。
 
 中内は初めて経験する経営危機からの脱出を、ヤマハ内の路線の衝突から社長を追われた河島博を副社長に招いて託した。ヤマハを世界のヤマハに育て上げた河島は、経営改革に乗り出す。名付けて〈V革作戦〉。
 
 河島はメーカー経営者の視点から、中内ダイエーの弱点を正しく見抜いていた。まずは経営理念を売上至上主義から利益至上主義へと切り替える。店舗不動産をすべて抱えこむことで膨らんだ有利子負債が最大の問題と見て圧縮に取り組む。減価償却の終わった店舗については売却し、リースバックして借りる方式に切り替えた。資本における有利子負債率は、1984年に64.2%だったのを、86年には8.4%に押し込めて、同年には連結決算を黒字に戻すことに成功する。
 
 バブルを「オレの時代」と錯覚
 河島は、V革作戦を行うにあたって、中内に釘を刺していた。「改革方針は私に任せて、改革実行会議には顔を出さないでもらいたい」とぴしゃり。カリスマとまで呼ばれる創業者オーナーが意見を言うと、会議ではだれも意見を言わなくなる。自分の経営能力に絶対の自信を持つワンマン創業者が陥るワナである。「自由に意見を言ってもいいぞ」と言いつつ、意見が出ようものなら自論で論破して、挙げ句の果てには「勉強が足りん」と叱り飛ばす。それが怖くて積極的な改革意見はだれも言わなくなる。
 
 会社の所帯が小さな家内企業的であるうちはいいが、所帯が大きくなれば、身動きが取れなくなる。小売業ナンバーワンになりながら、その体質を引きずるダイエー方式の危険を河島は根本から退治しようとした。
 
 しかし、中内の考えは違った。〈再出発の土台はできた、ご苦労さん〉。河島をダイエー本体の経営から外し、関連会社の再建に振り向けた。そして息子を専務取締役に昇格させて、自分の意のままに会社を動かす体制に切り替えた。河島が店舗、売場ごとに自主的に改善を主張させるために設けたQ Cサークルも、創業時からの古参が「Q C制度を運用していると、店舗の独立性が高まって本部の力が弱くなる」と中内に注進し、いつの間にか消える。
 
 ダイエーの危機が遠のいた80年代後半、社会はバブル景気に踊り始めた。低迷していた消費もV字で回復し、小売業にとっても花咲く春がやってきたかに思われた。
 
 「これこそオレの時代だ」。焼け跡闇市から薬の安売りで身を起こし一代で日本一の小売流通のトップ企業を築いた中内は武者振るいしたことだろう。
 
 ダイエーは、力づくで流通再編、他業種にも乗り出し、ホテル経営、都市開発まで手がけるようになる。自社不動産をどんどん増やし、債務は膨らんでゆく。
 
 夢の時代はバブルが弾けるまでの数年のことであった。焼け跡闇市から高度経済成長へのあの再現はもはやなかった。〈イケイケどんどんのオレの時代が来た〉と中内が見たのは、明らかに錯覚だった。
 
 時代を読む難しさ
 バブルの時代、銀行は低金利でどんどん企業にカネを貸し込み、中小企業でも不動産、株に手を出して消えていった会社は数え切れない。ダイエーだけの問題ではなかった。同じ誘惑を経験された方も多いだろう。しかし、その間、イトーヨーカドーなど、業務改革委員会を維持し、時代に合わせて自ら改革し堅実に経営の舵をとってきた小売業はある。そして、ダイエーを尻目にどんどん業績を伸ばしていった。
 
 中内は2001年の株主総会で経営の一線から退き、その後のダイエーは2004年に産業再生機構入りし、2015年には同業イオンの完全子会社となった。
 
 時代を読み、自在に企業のあるべき姿を模索し、的確に決断し続けることは確かに難しい。時代は移ろう。百貨店を含めてなんでも揃う店は昔ほど珍重されず、家電品、衣料品なら専門大規模店舗が林立し、小物なら100円均一店がある。
 
  バブルがはじけて以来、消費者の嗜好も変わった。中内がスローガンとした〈いいものをより安く〉から、〈いいものは高くても買う。安いものでも、よりいいものを選ぶ〉へと。
 
 中内が、青雲の志をもち流通革命に乗り出していた1969年に出版した自著『わが安売り哲学』の一節にこうある。
 
 〈盛者必滅は世のならいであり、いまの栄華を誇る者が未来永劫にその地位にあることはない。自ら変革していけるもののみが生存を許されるべきである〉
 
 今となっては皮肉な宣言となってしまった。
 
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
 
 
 
※参考文献
『わが安売り哲学』中内㓛著 千倉書房
『流通革命は終わらない−私の履歴書』中内㓛著 日本経済新聞社
『定本カリスマ 中内㓛とダイエーの「戦後」上・下』佐野眞一著 ちくま文庫

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