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挑戦の決断(10) 所得倍増(池田勇人)

指導者たる者かくあるべし

 経済発展こそが日本の歩む道
 1960年(昭和35年)7月14日、与党である自民党総裁選挙を制した池田勇人が総理大臣に事実上内定した。池田は、官房長官に内定していた大平正芳を呼び、独特のダミ声で勢い込んで宣言した。
 「わしは経済でいくぞ」
 前首相の岸信介は日米安保条約の改定を強行した。学生・労働者のデモ隊が連日国会に押しかけ、騒然とした中で強引に採決が行われた。騒動の中で女子学生が機動隊と揉み合う中で死亡し、国民世論は真っ二つに割れた。ミャンンマーで現在進行中の事態がこの国でもあった。政権は求心力を失い、岸は内閣総辞職に追い込まれる。
 党内右派の岸は、自民党の党是である憲法改正と、沖縄、小笠原の施政権返還を池田に託した。だが、池田の考えは違った。
 「国民は安保、安保で疲れ切っている。日本は大きな経済の潜在力を持っている。それをもっと引き出せば、国民の生活はずっと豊かになる。それを私はやりたいんだ」
 安全保障一辺倒で国会論議を軽視した岸時代との差別化を目指した。政権発足にあたって池田は二つの基本姿勢を示した。一つは「寛容と忍耐」だ。安保を強行採決して野党と激突した事態の反省である。
 そしてもう一つが「所得倍増計画」だった。10年で国民所得を倍増させると国民の前に約束したのだ。
 
 吉田学校での薫陶
 約束だけならだれでもできる。池田には成算があった。
 大蔵省(現財務省)官僚出身で大蔵次官から政界に転身した。計数に明るいことを見込んで1949年の初当選時には、当時の首相、吉田茂は池田を大蔵大臣に大抜擢する。当選一回の新人を蔵相に登用するのは異例である。外交には明るいが財務に暗かった吉田の英断だ。
 しかし抜擢の理由はそれだけではない。連合国による占領下で政策の一々にGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)との折衝が必要となる。G H Qに堂々と物申すだけの肝っ玉ありと、吉田は面談で見抜いたのだ。そして吉田は、いわゆる吉田学校で、池田に外交、安全保障、そして政治駆け引きなど将来の国家指導者としての教育を施した。
 上杉謙信の人材登用策もそうであるが、有能なリーダーというものは、後進の才を見抜き、足りぬところを教え諭す。有能な才を集め使うだけではリーダーではない。
 さて、「池田に成算があった」というのはこういうことだ。総理総裁になる数年前から大蔵省の官僚たちと頻繁に勉強会を開いていた。戦後の経済復興は道半ばであった。どうすれば、経済成長を軌道に乗せられるか、外貨獲得の方策は、税収の適切なあり方は、、、。ケインズの経済発展理論に基づいて討議し、辿り着いたのが、年率9%の成長達成のための政策立案と、結論としての「所得倍増」計画だったのだ。
 
 国民の願いを知る
 数字に裏付けられた国家の発展モデルだったが、マスコミのみならず与党内からも訝(いぶか)しがる声が上がった。「根拠のない大風呂敷だ」と。池田の側近たちも、政策公表直前まで、「倍増なんてとんでもない。達成できなければ、政権はもたない」と反対する。経済界からも、「賃金が上がれば企業はつぶれる」と反対の大合唱が起きた。
 冷ややかな声を浴びながら国会、そして各地での演説会で池田はひるまず訴えた。
 「政治の使命は何かと問われれば、それはやはり国民生活を引き上げることだ。すなわち、雇用を拡大して社会保障を拡充するーこれが柱でなければならん」。それが戦後からの脱却を願う国民の思いであることを池田は見抜いていた。
 国民の努力があれば生産力は増える。それが所得を増やすことになる。購買力が上がれば、製品は売れる。正のスパイラルの発想だ。
 「経済のことは池田にお任せください。私は嘘は申しません」。私は嘘は申しませんは池田の代名詞ともなり、子供たちも使う流行語となる。
 4年間の池田政権は、与野党間の火種となる憲法改正論議を棚上げして経済発展に邁進する。
 疲弊する中小企業を支えるため中小企業基本法、中小企業支援法ができたのもこの時である。農業生産性を上げるためには、農地法、農業基本法を整備して農業規模の拡大を目指す。サラリーマンだけでなく、国民等しく所得を増やすことを目指し、セットで政策推進する。
 10年で所得を倍増するとした公約は、7年で達成される。
 この間、1964年には東京五輪が開かれ、世界中に日本の戦後復興と経済発展ぶりをアピールすることになった。がんにおかされていた池田は、病床から起き上がって10月10日の開会式に出席し、閉会を見届けて翌日辞意を表明する。ある意味で今に繋がる日本の黄金時代を率いた信念の指導者であった。
 
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
 
 
 
※参考文献
『池田勇人 ニッポンを創った男』鈴木文矢著 双葉社

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