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- 挑戦の決断(31) 貿易立国(都市国家ヴェネツィア)
戦いより経済主導権
北イタリアの東部、アドリア海に面した潟の上に築かれた都市、ヴェネツィアは、小国ながら、中世末期からイタリア・ルネッサンス期にかけて地中海世界の覇権を握った。その要因は、大国がせめぎ合うはざまで、戦争による領土拡張ではなく、侵略に対しては強力な海軍力で戦ってはねのけ、バランス外交によって交易の主導権掌握を目指すしたたかな国家戦略だった。
その国家運営は、極東の海に浮かぶ〈小国〉日本の未来設計図の大いに参考となる。さらに、小企業が大企業ひしめく商圏で戦い生き残る道をも示している。
大国のはざまで
干潟の上に点々と存在する十二の島の上に作られたヴェネツィアの町は、どこへ行くにも潟に縦横無尽に張り巡らされた運河と浅い海による水運に頼らざるを得なかった。それが優秀な船乗りたちを育て、交易の時代にこの都市が発展する素地となる。さらに浅瀬の海と湿地に囲まれた微妙な地形が敵の陸からの侵攻を防御する地の利を備えていた。
中世にはビザンツ帝国(東ローマ)の属領であったが、697年に総督を独自に選出し共和制を取り始める。国の最高位の元首は選挙で選ばれ、商業を営む二人の貴族が補佐した。発足当初からこの都市国家の理想は商業と交易だった。
しかし地中海交易の交差点に立地するだけに、9世紀から10世紀にかけて、イスラム勢力、フランク王国、マジャール(ハンガリー)の侵略に次々と見舞われる。地の利と宗主国であるビザンツの介入によっていずれも撃退するのだが、面白いのは、戦いの後のしたたかな講和作業だ。
たとえばイスラム勢力を退けた後には、西方の地中海交易に興味を示すイスラム勢力との間で対等な商業条約を結ぶ。対立を共存の〈ウイン・ウイン〉関係に切り替えて国益をはかった。またフランク王国を撃退したあとには、ヨーロッパとアジアの境であるコンスタンチノープルを都とするビザンツ帝国と、西ヨーロッパを支配下に置くフランク王国との間で結ばれた条約で絶妙の地位を獲得する。フランク王国に対しては、ビザンツの庇護権を認めさせ、ビザンツに対しては、フランク王国との交易権を承認させたのだ。これによってヴェネツィアは、帝国の後ろ盾の下で西ヨーロッパ各地との物資交易ルートを拡充してゆく。。
両大国を手玉にとってしたたかな外交だ。これも、ヴェネツィアが建国当初から王国ではなく、商業人による共和制国家だったため、名誉より実利で行動できたのだ。
さらに、ビザンツ帝国は東方諸国との衝突で地中海世界の統治への余力がなくなってくる。交易や国防にヴェネツィアの助けを求めるようになる。交易面ではヴェネツィア商人のコンスタンチノープルでの居住、商業を認めさせる。国防面では、地中海海軍の運用をヴェネツィア人に任せるようになり、ヴェネツィアに海軍工廠(アルセナーレ)を建設し、小都市国家は、造船・工業発展の道を開くことになる。
国の発展はシステムをも革新する
最盛期のヴェネツィアは、地中海交易を独占した。東方世界から絹織物、綿、香辛料、砂糖、香水、宝石などを輸入しヨーロッパ世界へ供給する。逆に東方へは、鉄、皮製品、木材を輸出、供給した。世界はヴェネツィアなしでは回らなくなった。巨大な富が潟上都市に流れ込む。
経済の発展はシステムの革新を促す。造船業の活況は、アーセナーレでの分業組み立てシステムを生み出す。パーツごとに専門職人が担当する効率的な製造工程で生み出される大型船は1日に1隻のレベルになったという。
また、〈会社〉という概念が生まれたのもこの地においてだった。経済圏が広がるにつれて、複数の商業人が連携して動く必要が生じたからだ。複数の商業人がそれぞれに資本を投資して工場、商社を運営し、利益と損失は出資額に応じて分配するようになる。
しかし、やがてヴェネツィアの黄金時代も終わりを告げる。大航海時代が始まり、交易の範囲が新大陸、海を超えてのアジアへと広がるにつれ、一都市国家が掌握していた地中海世界は、交易の中心ではなくなってしまった。そして19世紀初め、ナポレオンのイタリア征服によって国家としてのヴェネツィアは滅んだ。栄華を誇った都市国家も〈大時代〉の変化についていけなくなったのだ。〈会社〉の発想は、外洋に乗り出した国々に引き継がれてゆく。
大勢力を利用してしたたかに生き残るヴェネツィアの国家戦略は、冒頭書いたように資源に乏しいわが国にも大きな示唆を与えてくれる。だが、さらに重要な教訓は、大きな時代変化についていけなくなれば国は消えるということだ。
I T後進国の烙印を押されつつある日本の将来はこのままでは危うい。世界に大きく遅れをとりつつある。
国家だけではない。企業経営についても同じだ。これまでの成功ストーリーは、もはや通用しない新たな時代を迎えつつある。
美しいアドリア海の海上都市を観光して見るべきものは、見事なヴェネチアンガラスとゴンドラ、船頭が歌うカンツオーネだけではない。
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
※参考文献
『ヴェネツィア史』クリスチャン・ベック著 仙北谷茅戸訳 文庫クセジュ