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人間学・古典

第28人目 「ヒンデンブルグ」

渡部昇一の「日本の指導者たち」

 一度は終わったかと思われる人生から、再び新しい活躍する人生に入った人として岸信介をあげたが、人生を三回やったような人物がいる。それはドイツのパウル・フォン・ヒンデンブルグ元帥(一八四七~一九三四)である。
 ヒンデンブルグは日本で言えば源頼朝の頃から続いている東ドイツの土地持ち貴族(ユンカー)の家に生まれた。父ももちろんプロイセンの軍人である。
 当然のことながら幼年学校(陸軍将校になるための少年の入るエリート学校)に入り、普墺戦争(ドイツのプロイセンとオーストリアとの戦争)には、その最終戦場であったケーニッヒグレーツでオーストリア砲兵隊を急襲して負傷し、赤鷲勲章を受けた。
 約五年後の普仏戦争(プロシアとフランスの戦争)でも勇敢な戦いぶりを示し鉄十字勲章を受けた。つまり彼は歴戦の勇士であった。しかしその後約四十年間は、ドイツが戦争に入ることもなかったし、彼にもこれという功績もなかったが、大尉から大将にまで昇進した。これは彼が律儀な軍人だったので、組織内で順調に昇進したということである。そして六十四歳で隠退した。これまでが彼の第一の人生である。
 ところがその三年後の一九一四年八月一日に第一次世界大戦が勃発した。その三週間後の八月二十二日に六十七歳のヒンデンブルグを東プロシア第八軍団の司令官に命じる電報がとどいた。
 参謀長はルーデンドルフだった。ロシアはすでに七月二十八日に総動員令を決定し、東ドイツに侵入していた。そこはヒンデンブルグの郷里の地域であった。ロシアの将軍サムソノフとレネンカンプの大軍は劣勢なドイツ軍を押しまくり、東ドイツはパニック状況にあった。
 ヒンデンブルグと参謀長ルーデンドルフは、作戦班長のマックス・ホフマン中佐の立てた計画を採用することに決定した。ホフマンは日露戦争の時の黒木大将の第一軍の観戦武官であり、太子河作戦の成功に感銘し、それとそっくりの作戦をロシア軍相手に適用したのである。
 途中で作戦に一寸した蹉跌があり、参謀長ルーデンドルフはあわてて作戦の修正をしようとしたが、司令官のヒンデンブルグは冷静で揺るがず、既定の通りの作戦を断行した。
 そのためサムソノフのロシア軍は八月三十一日に十万人が戦死し、十万人が捕虜となったが、ドイツ軍の損害は軽微であった。翌週にはレネンカンプのロシア軍も木っ端微塵となって敗走し、東プロシア全土からロシア兵の姿は完全に消えた。
 この戦いをホフマンは「タンネンベルクの戦」と名付けた。それまで無名であったヒンデンブルグの名は出征後十日にして雷の如く世界に響き渡り、ドイツ人の間の人気も皇帝を圧するほどになり、元帥に昇進せしめられた。
 しかし彼のその後の東方作戦は、参謀総長エーリッヒ・フォン・ファルケンハイン将軍によってすべて採用されなかった。全戦場を統括するファルケンハインにしてみれば、ヒンデンブルグの要求するように、東部戦線にばかり増兵するわけに行かなかったのである。
 歴史的イフ(仮定)が許されればヒンデンブルグの言うようにしたら三年早くロシアと停戦しえたかもしれない。すると西部戦線はどうなったかわからない。
 ファルケンハインは逆にヒンデンブルグから数箇師団を取り上げて西部戦線に投じたが戦況は好転しない。一方、弱体化した東部戦線はオーストリア軍がロシア軍に破れて危うくなる。
 ヒンデンブルグはバルチック海からウクライナ地方に至る全東部方面の総司令官となり戦線を安定させた。その後ファルケンハインは辞職し、ヒンデンブルグが参謀総長になり、ルーデンドルフがその右腕役になった。
 ヒンデンブルグは西部戦線を整理し、いわゆるヒンデンブルグ・ラインで戦況を安定させた。一方、スイスにいたレーニンに汽車の便を与えてロシアに帰国させロシア革命を成功させたのはルーデンドルフである。これでドイツにとって極めて有利な条件でロシアとの講和が成立した。
 西部戦線にはアメリカも参加したが、ドイツ軍は勝ってないまでも負けていなかった。しかしドイツ国内で革命が起きた。皇帝は軍を率いて革命を潰そうとしたが、ヒンデンブルグは拒絶した。そしてオランダに亡命することをすすめたのである。
 ドイツは敗れた。ヒンデンブルグは二度目の隠退生活に入った。そして『懐古録』を書いた。その中で「ドイツ軍は敗けていなかったが、背後の革命によって裏切られたのである」と言っている。
 隠退して七年後、戦後ドイツの大統領エーベルトが死んで大統領選挙が行われ、ヒンデンブルグが選び出された。第三回目の人生のはじまりである。この選挙では二位のカトリック党・自由党・社会党推薦のヴィルヘルム・マルクスに八十万票の差をつけていた。
 彼は君主制や伝統の尊重の精神を持っていたが、ホーエンツオルン家の復位の努力はせず、戦後の共和制に同調した。二度目の大統領選挙では人気急上昇のヒトラーにも勝った。
 彼はヒトラーを「ボヘミア生まれの伍長」と軽蔑し、首相に任命しようとしなかった。しかしお気に入りの政治家や軍人たちに説得されて、選挙で大勝したヒトラーを遂に一九三三年に首相に任命する。
 ヒンデンブルグはその時八十六歳だった。ヒトラーはヒンデンブルグに明らかな敬意を表し鄭重に応対した。その後ヒンデンブルグは実質的には隠退した状態になり、翌年八十七歳でなくなった。ヒトラーが後に続いたため、彼の戦後の評価は高くないが、リーダーとしては傑出していたことを否定することはできない。

渡部昇一

〈第28 人目 「ヒンデンブルグ 」参考図書〉 
残念ながら参考図書はありません。

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