バルチック艦隊が対馬海峡にやってくるか、太平洋から津軽海峡へ向かったか。情報のないまま難しい判断が問われた。
東郷平八郎が、連合艦隊幹部たちの割れる判断を前に「もう一日対馬海峡で待とう」と最終命令を保留したことは吉と出た。
翌5月26日未明、敵艦隊の輸送艦が上海のウースン港に入ったとの情報が入り、敵がいまだ東シナ海にいることが確認された。
27日未明には長崎沖で哨戒していた巡洋艦「信濃」から「敵艦隊見ゆ」の打電が入る。旗艦「三笠」以下、一斉に錨を上げた。
ここから先は、正面から一列縦陣で決戦を挑む連合艦隊が敵前で左に大きく向きを変えるという東郷が下した捨て身の「敵前大回頭」の決断が勝敗を決した、とされる。
「丁字戦法(ていじせんぽう)」という。敵の進路を防ぐようにして横切り、敵の先頭に火砲の攻撃を集中し一艦ずつ撃滅する水軍の古兵法にならったものだ。
しかし、戦史を丹念に読むと、丁字戦法が成功するかに見られた時、東郷は重大な誤判を下している。
先頭を圧迫されて押されるように東へ東へと進路を変えるバルチック艦隊の中で、先頭の旗艦「スワロフ」が北に向かう姿勢を示す。
三笠艦上の東郷は北への一斉回頭を指示する信号旗を上げた。北へ逃げる敵に対する先回りを目指したのだ。
「(スワロフに)ついていっちゃ駄目です」ととっさに判断した男がいた。
三笠以下、戦艦六隻の第一艦隊に続行していた装甲の弱い巡洋艦六隻からなる第二艦隊の旗艦「出雲」の参謀、佐藤鉄太郎(さとう・てつたろう)である。
「集中攻撃を受けたスワロフは舵が壊れただけのこと。スワロフに構わずここは直進です」。
「よし」。第二艦隊司令長官の上村彦之丞(うえむら・ひこのじょう)は、 「われに続け」の信号旗を上げて、不利を承知で敵艦隊に突撃して行く。
中国の兵書『孫子』は、「常山(じょうざん)の蛇勢(だせい)」を説く。常山に住む精強な蛇は頭を攻撃されると尾が助けに来る。尾が撃たれると頭が助けに現れる。腹を攻められると頭と尾が助ける。
一見無敵に見える「命令一下」の縦割り組織より、目的は一つながら各部署がとっさの判断ができる有機的組織ほど強いものはないのだと。
戦線から離れて行く東郷の第一艦隊が再び現れるまで1時間。上村が指揮する弱勢の巡洋艦隊は敵艦隊に次々と打撃を与えていく。 (この項目、次週に続く)