米国にニクソン大統領が登場して以来、
しかし、通産大臣として解決を任された田中角栄は、
背景にはこの時期の、激動ともいうべき国際政治の奔流があった。
政治、経済両面にわたる戦後体制の組み換えである。
まず、田中が通産相に就任した二日後の1971年7月7日、
いずれも、新時代に向かう国際社会で“強いアメリカ”
「繊維問題でもいずれ日本側が譲歩せざるを得ない、しかし…」
第二次大戦で産業基盤をすべて失った日本を支えてきたのは繊維産
全国に中小の“機(はた)屋”
一方で総理・佐藤栄作は、戦後、
「繊維交渉の妥結を急がないと沖縄返還は遠のく」。
しかし通産官僚は当然、
「どうにも官僚は御しがたい」と、運輸次官経験もある官僚出身の佐藤はこのころ側近に漏らしている。
さて、官僚出身でもない田中は早速、「
「スジ論だけではダメだ。米国に向けて主張はするが、
「それでは業界が」とたじろぐ幹部たちに田中は一言。「
人間ブルドーザーを先頭に極秘プロジェクトは動き出した。 (この項、次回に続く)
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
※ 参考文献
『早坂茂三の「田中角栄」回想録』早坂茂三著 小学館
『田中角栄 頂点をきわめた男の物語―オヤジとわたし』早坂茂三著 PHP文庫
『田中角栄の資源戦争』山岡淳一郎著 草思社文庫
『日米貿易摩擦―対立と協調の構図』金川徹著 啓文社