【意味】
彼は確かに才能がある。けれども人格をみると人の上には置けない。
【解説】
「宋名臣言行録」の言葉です。
おいしい食べ物であっても、健康を害するようなものでは困ります。人間も同じで才能が豊かであっても、品性が欠落し反組織的な考えの強い人物では、要職の登用はできません。「ヤカンの大きさに応じて・・」とありますが、ヤカン本体に相応しい蓋であり、組織に相応しい役職者を登用したいものです。現代の社員採用基準は才能や才覚を優先しますが、高級役職者の登用では東洋的な人物規準でありたいものです。
色欲に弱い者、ギャンブルに乱れる者など、人間は「卑しい品性」を内蔵しています。そして心の緩みが生じるたびに卑しさが露呈し、その都度自分の品性を下げてしまいます。
人間は見栄から人前では外面品性を取り繕おうとしますが、付け焼刃の行動品性は直ぐに化けの皮が剥がれ、反って前後の落差からより大きな品性下落の印象を与えてしまいます。
本物の品性は、意識せずとも自身から滲み出るものです。「人は陰徳を修すべし」とか「内面品性その人品を現す」などといわれるように、隠れた善行や内に秘めた心の健全性から滲み出てくるのです。
それでは、どのようにして品性を鍛錬すればよいでしょうか。
品性鍛錬には、トイレの履物の整頓・路上のゴミ拾い・救急車のサイレンを聞いて無事を祈るなどがありますが、基本的は「日常生活での継続的な品性チェック」が大事です。毎日の生活リズムの中で、これらの項目が意識せずにできれば及第点とし、できなければ一層の奮起を促すことになります。
可能ならば更に高い意識を持つために、これらを年度計画に盛り込み「仕事の目標項目」と同様に「品性の目標項目」として、毎月達成度をチェックします。自然にできるようになれば、更にランクアップしたチェック項目を設定していきます。
このような生活を数年間続ければ、立派な品性が自然に身に着くようになります。この状態を「陰徳チェック5年にして、本物品性が滲み出る」(巌海)と言います。
徳行修行を人間学的に説明しますと、3段階があります。第1段階の『陰徳行』は、(1)得にならない良いことを(2)秘かに続ける修行です。第2段階の『陽徳行』は、(1)得にならない良いことを(2)人前でも堂々と続ける修行です。そして3段階は『宝徳行』です。
実は人徳評価は周りからの評価であり、自分側からの評価ではありません。陰徳の人の評価は「立派な陰徳の人」という程度ですが、陽徳の人は「あの陽徳の人と同じ行動を取りたい!」と同調行動の対象になります。そして更に進めば本人が気付かないうちに更に上の『宝徳行』の同調行動の領域になります。宝徳行の同調行動の代表例がマザーテレサの行動ですが、死に際の人々に愛の手を差し伸べる彼女の徳行に魅せられて、世界の各地から若者たちが続々集まり、彼らもまた宝徳行を繰り返しています。
このように申し上げますと、自社のレベルではとてもと自己卑下するトップも多いと思いますが、企業経営の根本精神こそ『陽徳経営』であることを忘れないでください。