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人間学・古典

第10回 「江戸人の危機管理」

令和時代の「社長の人間力の磨き方」

 「新型コロナウイルス」の影響は拡大を増すばかりで、先の見えない透明感がなおさら危機をあおっている。恐らく、世界中の産業の中で、打撃を受けていないものはない、とも言えるほどの規模で、100年前に日本で「スペイン風邪」と呼ばれたインフルエンザの大流行さながらの様相を呈している。尤も、その折よりも遥かに情報は多く、何よりも医学が進歩したが、今の時点ではウイルスの特性を把握しきれず、そのために決定的な治療法がないのが一番怖い。こうした疫病とも言える世界を駆け巡る病は、中世の「ペスト」を筆頭に幾度となく繰り返されてきた歴史の一部でもある。とは言え、各産業のリーダーの方にしれみれば、会社の経営のみならず、終息が見えない中で顧客をはじめ従業員や家族の健康管理まで気を配らねばならず、頭が痛い問題であることは間違いない。

 

 話は変わるが、歌舞伎のカップルの名前は、ほとんどが女性の名前が先にくる。「梅川忠兵衛」「お初徳兵衛」「お富与三郎」「お染久松」といった具合だ。まさか、この時代に「レディー・ファースト」の感覚があったとは思えず、単なる語呂の問題だろう。

 

 江戸時代にも多くの風邪が流行り、確たる治療法がないままに多くの人々が命を落とした。これは哀しい無名の庶民の記録でもある。その風邪で「お染」といううら若き女性が命を落とした。流行り病とは言え、家族の哀しみは今も同様だろう。しかし、眼に見えない細菌やウイルスが運ぶ風邪を退治する有効な手段を持ち合わせておらず、民間療法に頼り、裕福な家でさえ滋養のある物を食べ、漢方薬を煎じるぐらいが関の山だった。

 

 そんな中で、庶民は何を考えたのだろうか…。「お染久松」と言えば、歌舞伎の中では知名度でトップ・クラスとも言えるカップルだ。誰が考え出したのか知らないが、「久松留守」という札が売り出された。各家では隙間風の入る戸口にその札を貼り付け、「風邪除け」のまじないにしたのだ。「この家には久松はいません。だから、お染さん(風邪)はこの家に用はないはず」とばかりの洒落だ。

 

 この札が何の役にも立たないことは、誰もが知っていただろう。しかし、そうと知りつつも「鰯の頭も信心から」とばかりに、気休めでもその札を貼らずにはいられなかった江戸人の姿は、可笑しくも哀しい。今の我々は、江戸時代の人々に比べ、何百倍、何千倍の情報や知識を有している。それをフル活用しても、今回の「コロナウイルス」のように、なかなか決定的な回答が見つからないケースもある。これは、どれほど時代が進もうとも同じことなのだろう。

 

 その一方で、江戸人は、今の我々には到底太刀打ちのできない強い感覚を持っていた。一言で言えば「諦め」である。諦観でも諦念でもいい。「世の中には、自分ごときの力ではどうにもならないことがあるのだ」。これが生きるための大前提だった時代だ。自分が流行り風邪に罹ったのも定めなら、そこで命拾いをするのも、残念ながら命を落とすのもみな、天が決めた「定め」である、と。こういう考え方ができたのは「仕方がない」にも二通りあるからではないか、と私は思う。「もう仕方がないから諦めよう」という後ろ向きと、「今、ここに生きているのも定めだ。仕方がない、この環境を受け入れた上で尽くせるだけの力を尽くそう」という覚悟を決めた上での、前向きの「仕方がない」だ。江戸時代の「諦め」にも両方あっただろうが、後者が多かったと思いたい。

 

 とは言え、全員が全員このような考え方ができたはずはない。「何としても自分だけは助かりたい」と考えるのは人間の生存本能であり、それを否定することができないのも事実だ。

 

 問題は、それを肯定した上で、どんな行動を取るかだろう。社員をはじめとするスタッフの健康と生活を守るために奔走するのか、世相が混乱している機に乗じて不道徳な儲け方を探すのか、自分の関係者だけが生き延びられる方法を模索するのか。平均寿命がせいぜい50歳代という江戸時代に比べれば、我々は多くの面で遥かに恵まれた環境にいる。今回のウイルス対策に「コロナウイ留守」との貼り紙をする人はいないだろう。

 

 混迷や混乱の時代にどういう行動を取るかで、その人の「器量」も決まる。トップ・リーダーと呼ばれた歴史上の多くの人々が、私利私欲と公共性のどちらに主眼を置いてきたかを考えれば、「日本人」の結束の固さや忍耐強さ、智慧の見せ所でもある。職種や年代を超えて日本が、あるいは国境を越えて各国が英知を結集し合い、助け合う機会が今なのだ、とも考えられる。

 

 「コロナウイルス」に対する行動は、我々が天に課された試練なのかもしれない。そうだとするなら、後世の人々がこの記録を眼にした折に、「この時代の人たちは何を考えていたのだ」と言われないような生き方をしたいものだ。

 

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