日本人メジャーリーガーのパイオニアが野茂英雄なら、その道筋を確固たるものにしたのはイチローだろう。
野茂がトルネード投法、イチローは振り子打法と、ともに個性派だ。
そのふたりが「あの人が監督だったから今の自分がいる」と感謝を口にするのが、仰木彬(おおぎ あきら)である。
イチローのプロ二年目、「辞めたい」とオリックスのコーチに打ち明けていた。高卒で入団して二軍で活躍するものの、一軍での出場の機会は限られていた。
当時のオリックス首脳陣は、イチローの個性を嫌っていた。独特の振り子打法をやめるように指導するがイチローは聞かない。
「これが僕には合っている打ち方です」。土井正三監督は「基礎からやり直せ」と二軍行きを命じる。
その三年目、オリックス監督に仰木が就任する。春のキャンプで、「こいつはレギュラーで使える」と直観したという。
走力、強肩は秀でている。近鉄監督時代にチームの外から見ての「ひ弱だな」という印象も、随分とたくましくなっていた。
振り子打法にも注文は一切つけなかった。シーズン通してレギュラーを張れる精神面はどうか。「それは実戦で使ってみなけりゃ分からんだろう」。使うと決めたら、シーズン最初から使い続けた。
そして、この年、20歳の若者は210安打を放ち3割8分5厘という驚異の打率で首位打者を獲得する。
これに先立つ近鉄監督時代には、8チームが一位指名で競合した社会人野球のエース、野茂をドラフトの残りクジで引き当てた。
チームの内外から、「あの変則投法ではプロで通用しない」とフォーム矯正を求める声があった。
本人に聞くと、「これが自分のいちばんええスタイル。いじらんでください」という。社会人野球での実績もある。「よっしゃ、そのままでいい」と外野の声を無視した。
その個性的な投法を逆手にとって「トルネード(竜巻)」と名付け売り出した。野茂はデビューの年から四年連続でパリーグ最多勝を上げる。
そして仰木が近鉄監督を去り、後任の投手出身監督は、フォーム改造を言い渡す。いや気がさした野茂は大リーグ・ドジャースへ去る。
野球だけではない。日本社会は定型を重視し、教科書的な型にはめてよしとする。優等生指導者ほどそうだ。個性を殺して才能をも殺す。
個性重視の仰木のもとからは、野茂、イチローのほか、長谷川、吉井、木田、田口、野村ら多くの選手が大リーグに巣立っている。
故なきことではない。
※参考文献
『燃えて勝つ』仰木彬著 学研
『人を見つけ人を伸ばす』仰木彬・二宮清純著 光文社カッパブックス
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