戦国時代から江戸初期にかけて、立花宗茂(たちばな・むねしげ)という名将がいた。
筑後の柳川を拠点に、豊臣秀吉の九州攻めで、少ない兵を巧みに使い数々の武勲を挙げた。秀吉は、「九州第一の者である」とその功を讃えた。
関ヶ原の戦いでは西軍に付き敗走し奥州に改易されたが、その後、徳川家康も宗茂(むねしげ)の才を重用し、柳川に戻した。
必勝の秘訣について聞かれ知人にこう答えている。
「敵に向かう時に、ただ“進め”とか“死ね”とか命令しても従うものはいない。常々、上からは下を子に対するように愛情をかけ、下からは上を親と思うように人を使えば、命令などなくても、人は思い通りに動くものだ」
宗茂は、ごますりのイエスマンを遠ざけ、民には恩を、武士には義を持って報いたと伝えられている。
平和な江戸時代に入ると、固定化した組織をどう運用するかが新たな課題となる。
八代将軍・吉宗に政治助言をおこなった儒学者の荻生徂徠(おぎゅう・そらい)は、『政談』の中で、人材起用法を詳しく説いている。
現代語で要点を示すと次のようになる。
●人の才能、器量は、まず使って見ないとわからない。見かけだけで判断するな。
●人物を判断する時には長所だけを見ればよい。短所を知る必要はない。
●自分の好みに合う者だけを使うな。
●やらせてみて小さな失敗をくどくどいうな。
大局に立って、与えた仕事をこなせているかどうかを見ろ。
●その人物を使うからには信頼して、仕事を十分に任せろ。
●部下からの意見は封じ込めずに耳を傾ける度量を持て。
意見を聞く際に、「お前は何も分かっとらん」と説教や論争をするな。
●使える人材というのは、一癖(くせ)も二癖もあるものだ。
それを敬遠して癖を捨てさせるな。
●こうして上手く人材を使えば、適材適所、時代の要請に応える人物は必ず見つかる。
そうすれば、「聖朝に棄物なし」(「世の中には余計な人材は一人としていない」唐の詩人・杜甫の詩の一節)という境地に至る。
「うちには人材がいないとお嘆きの前に、人の器量を見抜き使うトップとしての力量が問われていますよ」
江戸中期、武士が行政官となって活力を失った幕府の各組織から寄せられる人材枯渇の訴えに対する徂徠のアドバイスだ。
※参考文献
『名将言行録』岡谷繁実著 講談社学術文庫
『政談』荻生徂徠著 岩波文庫
『荻生徂徠の経営学』舩橋晴雄著 日経BP社
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