三国干渉の話に戻る。日清戦争の講和条約で日本が清国から約束された遼東半島の割譲に対して、ロシア、ドイツ、フランスの三国が返還を強く求め、日本が割譲放棄に追い込まれた外交敗戦のことである。
「日本と戦えば負ける」と強く自覚していた李鴻章は、開戦を余儀なくされると早期の休戦の斡旋、仲介を欧米各国に働きかける。
中国での経済利権を貪る列強が、新参者である日本の中国進出を許さず必ず牽制すると睨んだからであった。
清国の外交担当部署である総理衙門(そうりがもん)を飛び越えて各国との交渉を一手に引き受けていた李鴻章は、その呼吸を熟知していた。各国との人脈もあった。
あえて、列強の干渉を引き出す戦略に出た。「毒をもって毒を制す」捨て身の戦法である。
反応は直ちに現れる。米国が講和仲介に動く。一方、英国は、仏、露、独、伊(イタリア)、米に聯合干渉を呼びかける。
日本と同じく中国進出で出遅れていた伊、米は日本に同情的で干渉に否定的であった。
カギを握るのは、鉄血宰相ビスマルクの独だった。日本寄りの立場で「干渉を防ぐためにも、過酷な要求を避け、早期の講和締結を目指すべきだ」と駐日公使を通じてアドバイスしていた。
干渉をリードしていた英国も、各国の足並みが揃わないのと、露国の南下政策を防ぐためにも日本を利用するのが得策と見て、干渉提案を引っ込める。
情勢は複雑だったが、日本の首相・伊藤博文も外相・陸奥宗光も事態を楽観し、「早く条件を飲め」と李鴻章に強面で迫った。
講和談判で、李はのらりくらりと時間を稼ぐ。この間、遼東半島割譲を求める日本の講和条件を各国に示し、「これで貴国はいいのか」と干渉を促し反応を待った。露、仏が干渉に乗り出した。独も手のひらを返して宿敵である両国に同調する。
駐独公使から「当初の独の厚意に見返りで応えなかったのがこの事態を招いた」と嫌味を込めた報告が届いたが、後の祭りであった。
露仏独の三国は、軍艦を批准書交換場所の天津沖に派遣して圧力をかける。日本は、批准書交換後、遼東半島の返還に追い込まれた。
李鴻章は、相撲(戦争)に負け、勝負(外交戦)で勝利を収めたことになる。勝負を分けたのは外交情報の量と質だった。
しかし、この外交勝負、一時の勝利でしかないことを、李鴻章自身がだれよりも知っていた。(次回に続く)
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
参考文献
『李鴻章―東アジアの近代』岡本隆司著 岩波新書
『日清戦争』大谷正著 中公新書
『新訂 蹇蹇録』陸奥宗光著 岩波文庫
『氷川清話』勝海舟著 江藤淳・松浦玲編 講談社学術文庫
『日本の歴史22 大日本帝国の試煉』隅谷三喜男著 中公文庫