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人間学・古典

第62回 「先人の教え④ 平岡養一」

令和時代の「社長の人間力の磨き方」

 「木琴演奏家・平岡養一(1907~1981)」。この名を知る方は、少なくも60代後半ではなかろうか。「マリンバ」は教育の一環や趣味で習っている人はいるが、木琴は似て非なる楽器だ。年代によっては、小学校の音楽の時間に多少習った方々もいるかもしれない。一番大きな違いは、同じ鍵盤打楽器ながら、鍵盤の下の「共鳴管」と呼ばれるパイプの長さや材質の違いで、マリンバの方が音が柔らかく残響も長いことだろうか。

 「木琴」も「マリンパ」も、オーケストラの中では「打楽器」の一つとして扱われ、打楽器の担当はティンパニやシンバルなど、他の打楽器と共に担当する。

 

 平岡は、この木琴だけでソロ・リサイタルを可能にした音楽家のパイオニアとも言える存在だ。裕福な商家に生まれ、音楽家を目指してピアノのレッスンを始めたが、小柄で手が小さかったため、ピアノの教師に「ピアニストには向かない」と言われた。涙ぐむ平岡少年に、母堂が声を掛けたと聞いた。

 「神様は、誰にでも他の人より優れた何かを授けてくださっています。でも、それを見つけるのは、あなたの仕事よ」と。ピアノの教師にクレームを言いかねない現代の感覚からすれば、母堂も立派だ。平岡少年はその後、映画館で合間に余興で演奏されていた木琴に取り付かれ、中学校3年生の時に、おもちゃに毛が生えたような木琴を買ってもらったという。値は5円で、当時の大卒のサラリーマンの初任給相当額だったそうだ。その後、独学で木琴を学び、慶應義塾大学在学中に当時の帝国ホテルの「演芸場」で最初のリサイタルを開催、成功を収めた。こうしたリサイタルやレコードの収益を貯め、昭和5年に単身アメリカへ留学したが、何のコネクションもなく、所持金は片道の船賃だけだったと聞いた。明治生まれの胆力を感じる。

 

 何度ものオーディションの末に得た仕事は、朝のラジオの15分の生番組での演奏だった。この時、「1年間は同じ曲を演奏しないように」と誓ったそうだ。この番組は好評で、「アメリカ全土の少年少女は、ヨーイチ・ヒラオカの木琴で目を覚ます」とまで言われ、実に4,000回を超えて続いた。この間、休んだのは2回だけだと聞いた。

 平岡のアメリカでの活躍は順調だったが折悪しく戦争が始まり、交換船で帰国することになる。日本でも慰問など精力的な活動を続け、リサイタルでは必ず演奏する『お江戸日本橋』は、平岡のトレード・マークともなった。

 

 私と平岡の出会いは、全くの偶然だった。早稲田実業中学1年生の時、早稲田大学の大隈講堂で大学主催の平岡の「木琴演奏会」に学年ごと連れて行かれた。当時の校長と平岡が友人だったためだ。2メートルを超えようという木琴を前に、耳に馴染みのある『カルメン』や『ウイリアム・テル幻想曲』、『チゴイネル・ワイゼン』など、20曲以上が披露された。私は、講堂の2階席のはじっこで、タキシードで木琴の前を駆け回り、ぽたぽたと汗が滴るのが見えるほどのエネルギッシュな演奏に度肝を抜かされ、平岡のファンになった。

 

 当時、平岡は、日本橋の三越に備えられている東洋一のパイプオルガンのある「中央ホール」で週末に顧客サービスのために30分ほどの演奏をしており、毎週のようにそれを聴きに出かけた。詰襟姿で毎週のように顔を出している子供が珍しかったのだろう、ある日、平岡に声を掛けられ、それから個人的なお付き合い、とは失礼な交流が始まった。

 リサイタルの楽屋などで折に触れ話を聞かせてもらえたのは私の財産で、レパートリーは3,000曲を超え、全てが頭の中に入っていた。平岡曰く、「鍵盤の正面に立たないといい音が出ないから、木琴の前を掛けずり回るので、楽譜を見てはいられない」のだそうだ。「2時間のリサイタルで、テニス5セット分の汗をかくんだよ」とにこやかに語っていたが、レパートリーはクラシックはもとより、ジャズ、シャンソン、日本の抒情歌、民謡、歌謡曲にまで及んだ。「音を楽しむと書いて『音楽』なのだから、誰もが知っている曲を演奏する」というのがモットーだった。

 70歳を過ぎ、ガンで胃を全摘した後に驚異的な復活を遂げ、「木琴生活50年記念」に、日本各地でリサイタルを行い、すでに永住権を得ていたアメリカへ帰り、73歳の生涯を終えた。

 10年以上前のこと、ある企業広報誌の特集で平岡の特集を書きたいと申し出た。編集長は、「どんなに素晴らしい人物でも、孫の世代が存命している方は取り上げない。苦情が出る怖れがある」と断った。しかし、粘る私に編集長は呆れ、「好きにしなさいよ」と喧嘩のようになり、書き上げた。幸い、苦情はなく、「懐かしい」「よく取り上げてくれた」とお褒めをいただいた。一番嬉しかったのは、娘さんの言葉で、「父のことは今までに多くの専門家が何百もの原稿を書きました。あなたは、音楽の専門家ではないけれど、父への愛情が溢れている点では一番ね」との言葉を頂いたことだった。

 自慢話のようだが、私はようやく長い借りが返せたような気がした。平岡が亡くなった折、日本では青山斎場で葬儀が行われた。当時、貧乏な大学一年生の私は、葬儀へは参列したものの、包むべき香奠を持ち合わせず、平岡への手紙を書いて代わりにしたのだ。その非礼を、ようやく許せてもらえるような気がした。

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