■仏教ゆかりの温泉施設
ひんやりとした秋の空気が漂う伊豆の天城峠は、紅葉がピークを迎えていた。赤や黄色に色づいた山々や、伊豆の観光名所である大滝を眺めていると、心が癒やされていく。
この日の宿は、大滝からも近い天城温泉「禅の湯」。川端康成が『伊豆の踊子』を執筆したといわれる宿や、踊り子が入浴したとされる共同浴場が残る湯ヶ野温泉からも近い里山の一軒宿である。
「禅の湯」の特徴は、その名のとおり、仏教にゆかりがあること。なんと、慈眼院というお寺に隣接しているのだ。慈眼院は、安政4年(1857年)に初代駐日総領事タウンゼント・ハリスが、日米修好通商条約締結のため江戸へ赴く途中で一泊したという由緒正しきお寺。
「寺と温泉」という組み合わせをユニークに感じるかもしれないが、もともとお寺と風呂は深い関係がある。仏教には施浴(せよく)という考え方があり、寺院が貧しい人や病人たちを対象として、境内の浴室を開放して入浴を施していた。病気を退け、福を招くものとして入浴が奨励されていたのだ。
■飲泉もできる新鮮な源泉
一方、隣接する「禅の湯」の建物は、白壁を基調としたデザイナーズ建築。一見すると、美術館か何かと間違えてしまいそうだ。畳敷きのスタイリッシュなロビーや建物の中心に位置する中庭など、「ここは本当に温泉宿なのだろうか」と自分の目を疑わずにはいられない。
隣に古風なお寺があるだけに、そのギャップがますます際立つ。日当たりのよい和室も清潔感にあふれ、女性にもウケがよさそうだ。
料理も凝っている。夕食の猪肉やイワナの卵など地の食材を洋風にアレンジした創作メニューは、見た目にも楽しく、ぬくもりがあふれている。
男女別の大浴場もデザイナーズ系だ。暖かいオレンジ色の光に照らされた湯船には、無色透明の湯がかけ流しにされ、湯船からあふれだしていく。外観を重視したデザイナーズ系の温泉施設は、見た目とはうらはらにがっかりさせられることがあるものだが、新鮮な湯がぜいたくな使われ方をしているのは好印象だ。
温泉そのものは、匂いや味もなく、特徴が乏しいように感じるが、温泉分析書を見ると、硫酸塩泉の湯には、ミネラルが多く含まれているのがわかる。見た目以上に「濃い湯」だといえるだろう。さらにうれしいのは、湯口にコップが置いてあり、飲泉ができること。クセがないので、ごくごく飲める。飲泉ができるのは、温泉が新鮮な証拠である。
ヒノキづくりの露天風呂もお気に入りだ。夜は星空に癒やされ、朝は太陽からパワーをいただける。あまりにこの露天風呂の居心地がよく、夜に3回、朝に2回も浴室に足を運んでしまった。
■座禅体験や岩盤浴も
「禅の湯」の魅力は、温泉だけではない。実は、隣接する慈眼院の本堂で早朝5時半から坐禅を体験できる(日曜日、別途1000円)。
筆者が宿泊した日は、急にお葬式が入って中止になってしまったが、女将さんから、浴室に併設された「石の湯」(岩盤浴)の利用をすすめられた。「敷きつめられた深成岩や噴出岩などの小石の上に、目を閉じて静かに横になっていると、脳波がβ波からα波に変わり、坐禅と同じような癒しの効果があるそうですよ」
「そうはいっても、坐禅と岩盤浴はまったく違うだろう」と半信半疑のまま、小石の上に横たわり、目を閉じた。できるだけ無の境地になろうと努めるが、ものの数分で玉のような大粒の汗が噴き出してきて、少々息苦しくなる。ところが、そのまま我慢していると、ある瞬間に苦しさが快感に変わり、心がリラックスしていった。
そして、汗をびっしょりかいたあとは、温泉につかってさらにリフレッシュ。汗と一緒にもやもやした気持ちも流れてしまったのだろうか、心がスーッと軽くなっていくのがわかる。温泉好きの筆者には、坐禅よりも岩盤浴のほうが性に合っているようだ。