【意味】
昔から小賢しい行動を取る者は、人よりも優れた才知を有している。
【解説】
始末が悪いのが「ひねくれ者」と「風見鶏的な者」ですが、より悪いのは後者です。
前者のひねくれ者とは、考え方が素直でなくて組織に反抗的な人物です。
本人は自分の才能にかなりの自信がありますから、自分より才能が劣る者が評価をされることに面白くありません。
ですから些細なことでも同僚を卑下し上司に反抗し更にひねくれ度が増します。
後者の風見鶏的な者とは、ある程度の変化を読み取る才能があり、
本人は無意識でしょうが自然と権力者に迎合する軽薄人物です。
この種の人物が登用され地位 に就きますと、本当に実力のある品格の高い人は、
同調できませんから一歩退くことになります。
しばらくの間はまとまりのよい組織と見えますが、次第にトッ プを取り巻く者は
風見鶏の佞臣(オベッカをいう臣下)ばかりとなります。
こうなると組織は崩壊の道をたどりますから、ひねくれ者より風見鶏的な者の方がよ り始末が悪いことになります。
部下としてひねくれ者や風見鶏的な者にならないためには、人間学を学び「心の土台」を正しくしなければなりません。
性能のよいロケットでも発射台が傾いて いれば目標に到達しません。
才人でも心の置き台がひねくれていては周りから受け入れられません。
自己保身の風見鶏では、尚更本物の品格人間からは軽蔑されて相手にされません。
組織では、その責任者の方針が色濃く出ます。国木田独歩の名言に「雇われるものは多少の奴隷を免れず」とあります。
気持ちを合わせることは組織人の最低限の義務です。
部下としては時には反対意見も出しますが、方針が決定したならば腹を据えて積極的に合わせることが大切です。
中途半端な気持ちで対応するから、不満常習のひねくれ者やオベッカ使いの風見鶏的な部下になるのです。
一方責任者は、反抗的な「ひねくれ者」を厭い、耳触りのよい「風見鶏的な者」を好みがちです。
しかし本当に気を付けたいのは後者の方です。なぜなら、風見鶏である本人も自覚がなく、
責任者も協調的な部下と判断しますから、上司部下の間でお互いに気付くことは至難の業だからです。
しかし傍目八目といいますが、判るのは両者の慣れ合いを苦々しく見詰めている同じ職場の同僚社員達です。
新任責任者は上司の度量や金払いの良さを示そうと、部下の面倒をみると称し頻繁に
ゴルフ場や飲み屋に出かけますが、何時しか風見鶏の社員の同伴回数が多く なります。
これではガードが甘い上司となり、誠実に努力している社員は上司の人心掌握レベルに失望して離れていきます。
「初節を保つは易く、晩節を保つは難し」(宋名臣言行録)とありますが、地位を得て暫くすると
緩みが出るのが人の常ですから、可能ならばひねくれ者の部下も風見鶏的な部下も一緒に
巻き込んで、職場全体で正しい日常生活を心掛けたいものです。
「その身を正しくすること能わずんば、人を正しくするを如何せん」(論語)
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古今の姦悪を為す小人は、皆才、人に過ぐ。
杉山巌海