■全国の温泉をめぐった与謝野晶子
温泉旅をしていると、「作家〇〇〇〇ゆかりの宿」「歌人〇〇〇〇が愛した温泉地」といったキャッチフレーズに出くわすことがよくある。これらの多くは、宿や温泉地が集客を目的にPRしている例も少なくないが、温泉が昔から作家や歌人などの文化人や、歴史上の偉人に愛される存在であったことも事実だ。
なかでも、温泉に異常なまでの愛着をもっていたのは、大正・昭和期の歌人・与謝野晶子だ。温泉旅をしていると、全国津々浦々、さまざまな温泉地に与謝野晶子の歌碑が残されていることに驚かされる。
彼女は、北は北海道の登別温泉、南は鹿児島県の指宿温泉まで、数々の温泉地を訪ねている。それらは、秘湯や名湯として今でも評価される宿や温泉地ばかり。相当な温泉の目利きだったのだろう。
しかも、与謝野晶子は11人の子どもを育てる母親でもあった。仕事に、家事に、子育てに大忙しだったにもかかわらず、交通が不便な時代に日本全国を旅してまわった彼女のバイタリティに、驚愕せずにはいられない。よほど温泉が好きだったのだろう。
与謝野晶子と同じくらい温泉に愛着をもっていただろうと想像できるのは、薩摩藩士・西郷隆盛である。鹿児島県内には、日当山温泉、栗野岳温泉、吹上温泉、鰻温泉など、数々の西郷隆盛ゆかりの温泉地が存在する。鹿児島で日本初の新婚旅行をした坂本龍馬とお龍が入浴した温泉も、西郷隆盛がすすめたといわれる。西郷隆盛もまた、相当な温泉通であったに違いない。
■鹿児島最古のレトロ湯
鹿児島県北西部、薩摩川内市の山あいに湧く川内高城(せんだいたき)温泉も、西郷隆盛ゆかりの温泉地として知られる。趣味として嗜んでいた狩りの途中、西郷隆盛も好んで入浴したといわれており、滞在した宿が現在も残る。
川内高城温泉は、鹿児島県最古の湯とされ、約800年の歴史を誇る。温泉街には、素朴な木造の湯治宿や、昔懐かしい土産物屋が軒を連ねており、レトロな雰囲気が温泉情緒をかきたてる。西郷隆盛が訪れた時代の面影が、今もいくらか残っているに違いない。鄙びた温泉街が好きな人は、きっと気に入るだろう。
そんな温泉街の一角に建つ商店に「共同湯」が併設されている。木造の商店はレトロ感いっぱいで、まるで映画『ALWAYS 三丁目の夕日』に登場するセットのようだ。
この共同湯もまた、西郷隆盛が浸かった湯として知られる。商店の奥に隠れるように佇む男女別の浴室は、いい具合にくたびれた雰囲気を醸し出している。浴室と脱衣所が仕切られていない、昔ながらの一体型で、小ぶりの湯船は熱湯とぬる湯に仕切られ、それぞれ3人も入ればギュウギュウになりそうなサイズ。
■湯船の端っこでおとなしく……
モザイク状に貼られたタイルは剥げている部分も目立つが、完成当初は、きっとモダンな空間を演出していたことだろう。今は骨董品のような美しさを放っている。西郷隆盛が入浴した当時から、浴室がどの程度原形をとどめているか定かではないが、西郷隆盛もこの鄙びた浴室を気に入っていたと思う。
かまぼこ型に仕切られた湯船には、透明の単純硫黄泉が、ゆるゆるとかけ流しにされている。ほのかに甘い硫黄の香りが漂い、湯の中には白い湯の花が舞っている。スベスベヌルヌルとする肌触りが、川内高城温泉の特徴である。西郷隆盛の質実剛健のイメージとは正反対のやわらかい湯である。
西郷隆盛は湯船の真ん中には浸からず、いつも端っこのほうでおとなしくしていたという。西郷隆盛の豪放なイメージからすると意外だ。小さな湯船を独り占めにする豪快な入浴姿を勝手に思い描いていたのだが、実際には、控え目にのんびりと湯を楽しんでいたようだ。
まろやかな湯に包まれながら、幕末の時代に思いを馳せる。西郷隆盛と湯船で一緒になったら、どんな話をするだろうか。きっと、むずかしい話は抜きにして、のんびりと温泉のすばらしさを語り合ったに違いない。