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経済・株式・資産

第156話 中国の景気悪化と政策的な「合成の誤謬」

中国経済の最新動向

 中国経済に険しい雲行きが漂っている。政府が掲げている5.5%成長という経済目標の達成は危うく、絶望的な状態となっている。嘗てないほどの景気悪化は政策的な「合成の誤謬」と切っても切れない関係にある。

 

◆「合成の誤謬」とは何か?

  「合成の誤謬」(fallacy of composition)は著名な米国経済学者、1970年ノーベル経済学賞受賞者ポール・サミュエルソン(1915~2009年)が提起した経済学用語である。いわゆる「合成の誤謬」は、ミクロの視点では正しいことでも、それが合成されたマクロの世界では、必ずしも意図しない結果が生じることを指す。

 

 中国経済の政策的な「合成の誤謬」を指摘したのは、元世界銀行副総裁兼チーフエコノミスト、全国政治協商会議常務委員、北京大学教授の林毅夫氏だ。

 

 この林氏は6月7日発行の全国政治協商会議機関紙「人民政協報」に発表した文章の中で、次のように鋭く指摘した。

 

「プラットフォーム管理、二酸化炭素削減、不動産業界取り締まり強化、共同富裕など、一つ一つ皆重要かつ必要な改革であり、マクロコントロール政策と発展の方向でもある。しかし、執行の過程で、中長期的、全局的な政策は短期化され、地方化され、断片化され、結果的に「合成の誤謬」となり、皆様の経済発展に対する自信、特に企業家と投資者の自信を打撃した」と。

 

 林氏は中国政府の経済政策ブレーンであり、「一帯一路」戦略の発案者の1人として知られる。彼が習近平政権の政策に異議を唱えるのは尋常ではない。さらに林氏の文章は、日本の参議院に相当する全国政治協商会議の機関紙に発表したものであり、政権内部では習近平国家主席と違う意見の存在が裏付けられる。我々は、林氏が指摘した中国経済の政策的な「合成の誤謬」を重く受け止めるべきだ。いま中国で起きた政策的な「合成の誤謬」は、日本で絶対発生しない保証がないからだ。

 

 

◆「合成の誤謬」は中国IT企業に大きな打撃

 政策的な「合成の誤謬」は「IT大手バッシング」から始まる。2021年4月10日、中国国家市場監督管理総局が中国電子商取引最大手のアリババグループに対し、《独占禁止法》違反という理由で182億元(約3,050億円)に上る巨額罰金を科すと発表した。自社通販サイトの出店企業に、競合サイトとの取引を認めない慣行を問題視し、当局が処罰に踏み切ったのである。

 

 この金額は、2015年米国半導体大手のクアルコム社に対して、同じく独禁法違反で科した罰金額約10億ドル(約1,100億円)の3倍に当たり、罰金規模として史上最大となる。

 

 この以前に、アリババグループの子会社で、電子決済サービス「アリペイ」を運営する「アント・グループ」は2020年11月5日に上海と香港の両証券取引所に史上最高となる370億ドル(約3兆6000億円)を調達する予定だった新規上場が、直前に急遽中止となった。

 

 突然中止のきっかけは、アリババ創業者で中国最大の資産家でもある馬雲(ジャック・マー)氏の当局批判発言と見られる。馬氏は10月24日、上海市内で開かれたセミナーで、金融当局の責任者たちの前で、「中国の問題は金融システムのリスクではなく、金融システムがないことだ」「良いイノベーションは監督を恐れない。ただ、古い方式の監督を恐れる」と体制批判を展開した。

 

 米紙ウォール・ストリート・ジャーナルによれば、この講演の報告書を読んだ習近平国家主席が激怒し、当局にアントの上場を調査し、中止させるよう命じたという。

 

 上場中止のもう1つの原因は、多くの政府幹部及び家族がアントのIPOに関与しているからだ。著名な中国経済学者、元中国人民銀行通貨政策委員、清華大学教授李稲葵氏は今年6月3日にある投資フォーラムでの講演の中で、「アント・グループ上場直前、多くの政府幹部及びその家族がIPOにかかわっていることが発見され、しかも一部の都市の書記も関与し、大きな政治的な影響がもたらされた。本当に最高指導者を驚かせた事件だ」と述べ、内実を披露した。言い換えれば、アント・グルループのIPO中止は未遂の中国版「リクルート事件」という。

 

 その後、激怒した習近平主席は早速「資本の無秩序拡張防止」という大号令を出し、IT大手バッシングが始まった。アリババ巨額罰金に続き、2021年10月8日に国家市場監督管理総局はネット出前や旅行予約などの生活関連サービスを手がける美団(メイトゥアン)に対し独占禁止法違反を認定し、34億4200万元(約621億円)の罰金の支払いを命じた。認定理由は、美団が自社のネット出前サービスを利用する飲食店に対して求めていた「二者択一(取引先に対して競合他社とは取引しないよう迫る行為)」を独禁法違反に当たるという。

 

 アリババ、美団のほか、ネットサービス大手の騰訊(テンセント)、ネット通販大手の京東集団と拼多多(ピンドゥオドゥオ)、配車アプリ最大手の滴滴出行(ディディ)、検索大手の百度など、中国IT大手のほとんどは独占禁止法違反で罰金の支払いを命じられた。これらのIT大手はいずれも民間企業だ。

 

 独占禁止法により、IT大手に対する締め付け強化は、ミクロでは正当性があり、間違っていると言えない。しかし、集中豪雨的なバッシングは、結果的にIT大手各社の急速な業績悪化、投資意欲減退、人員削減などを招き、マクロの世界では政府の税収減少と研究・開発の遅れという意図しない結果がもたらされた。これは正に政策的な「合成の誤謬」の典型例である。

 

 

◆投資者の恐怖感と金持ちの「中国離れ」を招いた「共同富裕」 

 「共同富裕」は長期政策が短期化された「合成の誤謬」の具体例である。格差是正、共同富裕は中国共産党が目指す理想的な目標であり、世界各国の共通課題でもある。習近平政権が唱える「共同富裕」政策は正しいと思う。

 

 しかし、「共同富裕」はあくまでも長期的な目標であり、一朝一夕に達成できることではない。「共同富裕」政策実行の課程で、各地で短期化されるケースが続出している。民間企業は世論の圧力に負け、自発的に財産を寄付する動きを見せている。

 

 例えば、前出の騰訊(テンセント)とアリババはそれぞれ1000億元(約2兆円)を寄付すると発表した。1000億元の寄付は、アリババグループ2021会計年度純利益1,432.84億元(約24,358億円)の7割、テンセント2021年度純利益2248億元(約4兆2700億円)の44%に相当する。この巨額寄付は、両社の業績と研究開発に影響を及ぼすことが確かである。

 

 「共同富裕」政策が短期化された結果、「殺富済貧」(金持ちを殺して貧困層を救う)や「殺鶏取卵」(鶏を殺して卵を取る)が始まったのではないかと危惧され、投資者と中国の富裕層に恐怖感が広がっている。

 

 事実上、IT大手締め付け強化も「共同富裕」も民間企業が標的とされる。周知のように、「共同富裕」の前提条件は経済成長だ。経済成長が無ければ、豊かさの実現も富の分配も不可能となる。中国の経済成長のカギを握るのは正に民間企業だ。全国税収の50%超、GDPの60%超、イノベーションの70%超、雇用の80%超が民間企業の貢献によるものだ。民間企業の成長がなければ、国の経済成長もないと言っても決して過言ではない。民間企業の動揺によって、投資者は投資を躊躇し、金持ちは海外に逃げるという「中国離れ現象」が起きている。これも習近平政権が意図しなかった結果である。

 

 

◆「ゼロコロナ」対策は「合成の誤謬」の集大成

 政策的な「合成の誤謬」の集大成は言うまでなく「ゼロコロナ」対策である。「ゼロコロナ」の原点は国民の命と安全を守ることにあり、決して間違っている政策ではない。事実、「武漢封鎖」に示されるように、中国はいち早く新型コロナウイルス感染拡大の抑え込みに成功し、主要国の中で一番先に経済成長を回復した国である。

 

 しかし、コロナ変異種「オミクロン」の出現によって、防疫環境が大きく変わっている。オミクロン株の伝播が速く感染率が高い一方、重病率と死亡率が低い。ワクチンの普及も手伝って、欧米諸国をはじめ世界各国が相次いでロックタウンのような極端な「ゼロコロナ」対策を放棄し、「ウィズコロナ」に転換した。経済活動も再開され、日常が戻ってきた。

 

 ところが、中国は防疫環境が大きく変わったのにもかかわらず、「ゼロコロナ」対策を固持している。国際大都会の上海ロックタウンに象徴されるように、全国各地でロックタウンが多発している。安徽省蕪湖市のように、コスト無視のロックタウン乱発も見られる。364万人の同市は僅か1人の陽性患者確認で、4月17日よりすべての市民の外出を禁止し、全員PCR検査を実施すると発表した。3月だけで、上海市をはじめ全国45都市がロックタウンに突入し、その人口数は3.7億人に上り、全国総人口の26.4%を占める。

 

 現実無視、コスト無視のゼロコロナ対策は中国経済に甚大な被害をもたらした。上海市を実例にすれば、2カ月以上にわたる都市封鎖は経済活動に与える打撃が大きい。上海市統計局の発表によれば、同市今年4月の工業生産は前年同月比で61%減、5月も27.6%減と2カ月連続で大幅の減少を記録した。1~5月固定資産投資は21.2%減、小売り総額は18%減となっている。つまり生産、投資、消費など経済成長のすべての要素がマイナスに転落したのだ。

 

 「ゼロコロナ」の影響によって、中国経済全体が悪化し、4~6月期のGDP成長率はマイナスに転落する確率が極めて高い。今年5.5%成長という政府目標の達成は絶望的な状態となっている。

 

 特に深刻なのは国家財政収入の激減と失業者の急増だ。4月全国財政収入は前年同月に比べ41%減、5月も32.5%減となっている。一方、1~5月財政支出が5.9%増となり、財政赤字は記録的な12,320億元にのぼる。

 

 失業率も高い。政府は今年の都市部登録失業率を5.5%以下に目標設定しているが、5月は5.9%、うち16~24歳の若者たちの失業率が18.4%にのぼる。高い失業率は社会不安定の要素であり、今秋の共産党全国大会を控える中国政府にとって、頭が痛い大きな不安材料に違いない。

 

 要するに、ここ2年間の中国経済政策を点検すれば、ミクロの視点ではそれぞれ正しいと思われるが、マクロの世界では「合成の誤謬」となる。結果的に、投資者に投資意欲が無くなり、消費者に消費意欲が減退する。これは景気悪化の最大の要因と言えよう。

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