今回はロングセラーであり、なおかつ、新しい市場を創出した商品の事例をお伝えしましょう。文具用のマスキングテープです。
文具用マスキングテープといえば、贈り物のラッピング、ノートの装飾と、使途は多岐にわたる楽しいアイテムですね。色もデザインもさまざまな商品が登場しており、人気はすでに定着した感があります。
和紙に粘着素材をつけたマスキングテープは元来、工業用の商品として認知されてきました。塗装などの作業に携わる職人にとっては欠くことのできないものです。それがどうしてまた、文具の世界でここまで市場を伸ばしているのか。
工業用一辺倒だったマスキングテープの分野で、業界で初めて、装飾などの趣味に使える色とりどりの文具用商品を出したのは、岡山県のカモ井加工紙でした。2008年、「mt」と名づけたシリーズを発売。そして初年から見事に反響を呼びました。後続のメーカーが数多登場する状況であっても、現在、文具用マスキングテープでシェア7割。ここまで「mt」シリーズのアイテム数は累計4000点にものぼるといいます。
それにしても……。同社はなぜ文具用マスキングテープを発案し、それまで存在しなかった市場を作り上げるほどになったのか。
同社に尋ねると、その発端は「mt」発売の2年前である2006年にあった、というんです。
突然、一般消費者である女性たちから同社のもとに連絡が入ったそうです。「ぜひ、マスキングテープ工場を見学したい」と……。同社にしてみれば、その理由も狙いもわからず、社員みんなで戸惑うばかりだった。当時、マスキングテープは工業用としてもっぱら使われていたような地味な存在ですし、そもそも一般の消費者の工場見学を受け入れるような空気は、同社に限らず業界内になかったといいます。技術が漏れたらどうする、という心配もそこにはあったそうですし。
でも、同社はこの工場見学依頼を受け入れることを決めました。依頼が届いた直後からやりとりを重ねるなかで、女性たちの話に耳を傾けたら、驚きの連続だったからだそうです。「マスキングテープの透け感がいい、色が楽しい、和紙のちぎれ具合がいい。だから生活のなかでいろんな装飾に使える。彼女たちはそう話してくれました」と同社の専務は振り返ります。当時の自分たちが思ってもいなかった部分に、彼女たちは興味を示している。ならば、工場見学に迎え入れて、こちらもしっかりと話を聞こうと考えた。
彼女たちが工場見学に訪れた1週間後、同社は文具用のマスキングテープを開発することを決めます。「これは、商品開発に乗り出していいんじゃないか」と考えたそうです。ただし、話は簡単ではありません。これまでの工業用マスキングテープは少品種大量生産ですが、文具用となると多品種少量生産が必須です。考えを巡らせたすえ、製紙メーカーから無地の白い和紙を仕入れ、そこに色や柄をつけるのは自分たちの工場内でやるしかない、という結論に達しました。もちろん、これまで全く経験してこなかった作業ですが、この手法ならば、最小限度のコスト投資で始められるとの判断があった。
そして2年を経て、第1号商品を完成。東京のおしゃれな雑貨店へ飛び込み営業をかけるなど、慣れない苦労を重ねたとも聞きますが、その努力が見事に花ひらいた格好ですね。
ならば、です。カモ井加工紙が文具用マスキングテープの市場を創出し、開拓に成功したのは、幸運によるものだったのか。一般消費者の女性たちが工場見学を申し込んでくれて、マスキングテープの可能性を示唆したからか。
いや、話はちょっと違うんです。この彼女たちは、カモ井加工紙のほかにも、同じ業界のいくつもの企業に工場見学を申し込んでいたそうです。でも、同社以外からはすべて断られていた。なかには返答すらなかったケースもありました。つまり、カモ井加工紙以外は門前払いだったということです。
同社だけが、彼女たちの熱意はどこにあるのだろうと、真剣に話を聞き、そしてその声に関心を抱き、さらには商品開発してみようとまで判断を下した。これはもう偶然の幸運だけではない話ですね。同社の専務はいいます。「そうです。彼女たちが依頼をかけたすべてのメーカーにチャンスはあったわけです。スタートラインは一緒でした。結果として、呼応したのは私たち1社だけでしたが……」。
カモ井加工紙のことを最後にもう少しだけ話しますと、1923年設立の同社は当初、ハエトリ紙の製造を主軸に置いていました。1960年代に入った時点で、この先、市場は縮んでいくと判断し、ハエトリ紙がまだまだ売れていた時期だったのに工業用マスキングテープ市場に打って出ることにしたそうです。そして2008年に文具用の「mt」を業界初として発売した。ハエトリ紙と文具用マスキングテープに共通するのは、和紙に粘着素材を合わせている、というところですね。同社の歴史がちゃんとそこに反映されているわけです。