リーダーは孤独である
警察官僚から政治家に転身し、1980年代に官房長官として中曽根康弘に内閣を支えた後藤田正晴は、つぎつぎと降りかかる難題に迷わず決断を下さなければならない国の最高リーダーである首相というものは、孤独な存在であることを実感していた。
自らの警察庁長官時代にも赤軍派によるあさま山荘事件など重大な決断を強いられた経験から、リーダーにとってもっとも大事なのは、正しい情報をいかに素早く得ることであると実感していた。正確な情報があればこそ、責任ある決断が下せる。
首相を退いた田中角栄の実質指名で成立した中曾根政権に他派閥の田中派から政権ナンバー2の官房長官に送り込まれた後藤田を、“田中曾根内閣”の監視役と世間は見たが、後藤田は全力で総理の耳となり目となる情報収集役に徹した。
中曽根にしてみても、戦前の旧内務官僚の二期先輩でもある後藤田は煙たい存在だったろうが、危機管理のプロとしての後藤田に全幅の信頼をおき、在任中、ソ連による大韓航空機撃墜事件、三原山噴火など数々の危機を見事に切り抜けた。
「上司が嫌がる情報をこそ上げよ」
政権発足後、後藤田が官僚組織の統括運営にあたって示した〈後藤田五訓〉はあまりに有名だが、その中で情報の上申にあたって示した方針は至言である。
〈上司にとって嫌な事実、悪い情報をこそ報告せよ〉
官僚組織というものは、上司に嫌われては出世に響くと考えて、耳障りのいい情報を上司に届ける習性がある。一般の会社でも同じであろう。しかし、そんなお追従の情報は、なんの役にも立たない。かえって上司の判断の目を曇らせてしまうだけで有害である。聞きたくもない本当の悪い情報こそ価値があるということだ。
官僚主義を排して正しい情報が下から上に上がる風通しのいい組織を築くには、それができる人材を登用し、部下として使うことが上司としては不可欠となる。
部下を選ぶ口頭試問
後藤田は警察庁長官時代、「私は徹底した“能力主義人事”をやる。好きでもダメな者は登用しないし、嫌いでもできる者は使う」と宣言した。そしてその方針を徹底して貫いた。
自己主張せず事なかれに徹することで上司に好かれ、得点はないが失点はより少ないのが、世情一般の“宮仕え”での出世の道であるから、これはまさに逆転の人事発想であった。
人物評価ほど難しいものはない。後藤田は、自らの好き嫌い、能力評価を客観化するために、ある方法を用いたという。思い込みに過ぎないかもしれない自分が下した評価を他人の評価で検証する方法である。こんな方法だ。
自分が嫌う人物で能力も評価できない部下がいるとする。後藤田は自分の意見を言わずに、周囲に聞いてみる。
「あいつは、とてもいい人物で仕事もできると思うが。君はどう思う?」 逆に、登用しようと考えている意中の人物については、わざと欠点をあげたり悪口を言ったりして、相談相手の反応を見る。故意に逆表現で人物評価を求めるのである。
ただ単純に登用予定者の客観的人物情報を得るためではない。この口頭試問で、相談した相手の人物眼から、ただのお追従者のイエスマンか、自分の意見をしっかり言える優秀な部下かも見極めたという。
筆者自身、こういう“怖い”上司とめぐり合ったことはないが、もしいたとすれば、組織は緊張感とともに、活性化するだろうと感得してしまう。いかがか。
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
※参考文献
『政治とは何か』後藤田正晴著 講談社
『平時の指揮官 有事の指揮官 あなたは部下に見られている』佐々淳行著 文春文庫