※本コラムは2021年6月の繁栄への着眼点を掲載したものです。
「社長は孤独だ」とは、日本経営合理化協会に入協してから多くの人から聞いた言葉だ。このコロナ禍で相談できる人も不在で、寝れない日々を過ごしている社長も多くいるだろう。同じ立場の人間にしかわからない苦しみもある。
ある会社の社長就任パーティーに呼ばれた時のことだ。
社長も親しいが、その父親である会長は私が高校時代からよく知っている方だった。パーティー会場の一角で思い出話をしながら「本日は本当におめでとうございます」と言う私に会長は小声で言った。「いやぁ、太陽さん、社長を何十年もやっていたけど、こんなにぐっすり寝れたのはいつ以来振りか分からない」会長は苦笑いをしていた。私も当時は後継者だ。「これから会社を継ぐであろう人間になんてことを言うのか」とは思ったがその気持ちは分からなくもなかった。
創業者と後継者の孤独は違う。私は小さいながら飲食店を経営していた経験があるので、創業者でもあるし後継社長でもある。異国の地での苦労に寝れないことも多々あった。創業者が初めから孤独であるのに対して、後継者というのはその立場と共に変わっていく。私にも覚えがある。入協当時は、先輩、上司など飲みに行っては相談や愚痴などを聞いてもらっていたが、役職も上がってくればそんなことは出来なくなる。自分が社員を引っ張る側になれば、依存心など見せられない。全ては自分が決断をしなくてはいけない。
20年前、親しいお客様と三人で食事をした時のことだ。
一人の「専務就任祝い」の場だった。「自分はまだ専務になる器ではない」と言う人に、既に社長となっているもう一人のお客様は言った。「一日数時間でも専務を演じられるよう努力をすればいい。それがちょっとづつでも長くなり、一日の半分でも演じられるようであれば立派な専務だよ。それを一日中演じられるようになるまで待っていては、一生専務になんてなれやしない」二十代の私は、なるほどと思った。
決断する立場になるということは、色んなものへの決別だ。時には、「嫌われる勇気」を持っていないといけない時もある。社長は嫌われることを恐れていては出来ない。自分の中の線引きをキチンと持たなくてはいけない。何年もやっていると「社長の職業病」というのがプライベートでも出てくる。学生時代の友人たちと感覚が合わなくなってくる。
しかし、それが社長人生だろう。それならば、同じ感覚の人を自分で探せばいい。それは銀行が主催する二代目の会などではない。私も参加したことがあるが、同じエリアの経営者というだけで共通項は少ない。
そもそも孤独というのは誰が決めるものか。それは自分自身以外にはいない。自分が孤独であるというなら孤独であるし、孤独でないというなら孤独ではない。自分が孤独という人は、同じ感覚の人に出会っていないのだろう。それは孤独かどうかを決めるのが自分自身であるのと同じで、自分自身で探す以外にはない。黙っていても何も変わりはしない。全ては自分自身の行動である。
※本コラムは2021年6月の繁栄への着眼点を掲載したものです。