
戦略づくりの2つの軸「better」と「different」
戦略とは、あっさり言ってしまうと「競争相手との違いをつくる」こと。大切なことは競争がある中でお客さまに選ばれることだ。違いがあるから選ばれる。
ここから先がポイントで、違いのつくり方には2通りある。1つは、「better」という違い。人間で言えば、身長、体重、視力、足の速さ、試験の点数といった物差しを当てて、「AさんのほうがBさんよりも足が速い」「AさんのほうがBさんより試験の点数がいい」――つまり、Aさんのほうがbetterであるということだ。
もう1つが「different」。人間で言えば、例えば男か女かの違い。ここでは違いを指し示す物差しがない。「僕のほうがあなたよりも90%より男性だ」ということは、普通はない。出身地が違う、職業が違う、好きな食べ物が違う。これらはbetterやworseではなく、differentという違いだ。
戦略的な意思決定とはつまり、他社に対して自社のdifferentなポジションであるかを決めることにほかならない。それはトレードオフの選択でもある。「わたしは男です」という表明に込められている重要なメッセージは、「わたしは女ではない」ということだ。
“二つの理”から一つを選ぶ勇気
戦略がハッキリしていないと、リーダーが「○○をめざしていくぞ」という話ばかりするようになる。北に行くということは、南には行かない、西にも行かない、東にも行かないと決めることに他ならない。戦略の本質はトレードオフにある。戦略的意思決定の正体は「何をするか」ではなく「何をしないか」。戦略的思考はつねに「それが何ではないか」という対概念を必要とする。
良いことと悪いことの選択であれば、良いことを選べばいいだけ。そもそも決断の必要がない。「こっちのほうが安いですよ」と言われたら、そちらを選べばいいだけだ。「良いこと」と異なる「良いこと」のどちらを取るのか――これが本当の戦略的な意思決定だ。
「一理ある」が口癖の人がいる。僕に言わせれば二流経営者の証明だ。世の中に一理もないことなんてあり得ない。戦略や決断とは、異なる理のどちらを取るのかということだ。それはどちらかの理を捨てるということでもある。
事例① 西武〈おいしい生活〉
1980年代に「おいしい生活」というキャッチコピーが世の中の注目を集めた。コピーライターの糸井重里さんが西武百貨店のためにつくった広告コピーの傑作だ。僕の世代ならほとんどの方が覚えているのではないだろうか。このコピーのどこが秀逸なのか。広告のプロの方がおっしゃるには、「“より良い生活”ではないと言っている。そこがすごい」。
事例② JR〈そうだ 京都、行こう〉
高度成長期の百貨店は、日本人のもっと良い生活、もっと豊かな生活を、というニーズを満たすものだった。ところが1980年代になると、消費も成熟し「何がいいか」が人によって変わってきた。そこで主観性が強い「おいしい」という形容詞を持ってくる。対概念が明確に意識されている。「何ではないか」というメッセージになっている。だからこそ新しいタイプの消費を喚起する力があったわけだ。往時の西武百貨店に勢いがあったことがよくわかる。
1990年代、JRが新幹線のぞみの運行を始めたときの「そうだ 京都、行こう」。現在でもまだ使われている傑作コピーだ。この言葉が意味するところは「旅行じゃない」。それまで東京の人にとって、京都に行くことは旅行だった。事前に計画を立てて、宿を予約して、ガイドブックを買って行く。ところが、のぞみなら2時間しかかからない。思い立ったらふらっと行けるところになった。もちろん日帰りもできる。もはや京都に行くのは旅行ではない――要するに「のぞみを利用しましょう」という話なのだが、対概念が裏側にある。
「かけ声」は戦略ではない
対概念がないと、メッセージがただのかけ声になる。政治家の発言を見ていると、形容詞と副詞がとにかく多過ぎる。「しっかりと」「スピード感を持って」――混じりっけなしのかけ声だ。意味のあることを何も言っていないのに、ポジティブな形容詞や副詞を連発して何かいいことをやろうとしているような気にさせる。しかも、だれからも反対されない。「頑張ります」と言われて反対する人はいない。とりあえず「やる気」を感じさせて、その場をしのぐ。実に姑息だと思う。どの理を優先し、何を捨てるのかがまったく見えない。
「かけ声をかける」――リーダーが絶対にやってはいけないことの一つだというのが僕の考えだ。かけ声は何の構想も戦略も実行もない人の逃げ場に他ならない。かけ声をかけているうちは二流経営者だ。






































