信長、信忠父子を一日で失った織田家の後継を決める清須会議で、秀吉は筋論を押し通して柴田勝家を牽制し中座したが、退室直前に宿老の一人、丹羽長秀が「秀吉の言うとおりだ」と、秀吉に賛意を示していた。
だれも腹の内は明かさない。「時間がかかるだろう」と考えた秀吉が退出したあとも、丹羽長秀は説得を続けた。特に勝家に対しては、「勝家は腹を立ててはいけない。秀吉殿は備中の陣から駆け戻って主君の仇を討った。その時、あなたも機会がありながら、京に戻れなかった…」。勝負ありだ、と言外に込めた。
勝家も返す言葉がなかった。そこは勝家、座の空気を読んだ。ここは下手に自分が目をかける信孝擁立にこだわらず、次を期そうと考えた勝家は、「私は間違えていた。いや善は急げだ。(信長嫡流の孫)三法師様を天下人として仰ぐことにしよう。談合は終わった」と不満を顔には出さず秀吉に折れた。
秀吉が座をはずしたのは、丹羽長秀と事前に意を通じていたからだ。
社内の重要会議で主導権を取るための要諦がここにある。まずは提案には筋を通して不要な対決を避け対案をかすませること。そして事前の根回しで賛同発言者を用意しておくことである。
秀吉を呼び戻して再開した会議で次の議案は信長父子が遺した領地の国分けだったが、もはや主導権を握った秀吉の思いのままだった。京を含む山城、河内、丹波と要地は秀吉が抑えた。
一連の流れを見ると、勝家の狙いは後継者と組んで天下の主導権を取ることにあったが、秀吉の構想は次元が違った。「織田家の天下はもはや終わった。これからは自分が天下を治める」という強い意欲だ。時代の流れを読めたと言ってもよい。
越前に帰った勝家は、岐阜城に三法師の後見人として籠もった信孝と連絡を取りながら秀吉との対決の機会を狙った。
秀吉は、「三法師様は安土に戻す約束であろう。信孝に謀反の疑いあり」として信孝を攻め、謹慎させる。攻撃命令は、織田一族の信雄に出させ、自らは命令に従う形で筋を通している。
やがて勝家は秀吉におびき出されるようにして決起し、賤ヶ岳に敗れ自刃した。謹慎を破り勝家とともに反秀吉で動いた信孝も降伏し切腹を命じられる。
秀吉は筋を通しつつ着々と政敵を追い込み、計画通り織田家を事実上、葬り野望を果たす。
恐るべし秀吉、なのだ。