世界中がコロナウイルスの影響で参っていた頃に、どこへも行けなかった反動も加わってか、昨今は「オーバー・ツーリズム」との嬉しい悲鳴(?)も聞こえるほど、世界各国からのお客様が多い。
海外諸国の事情は知らないが、日本には昔から「旅」にまつわる諺が多い。「旅は憂いもの辛いもの」、「旅は道連れ世は情け」、「可愛い子には旅をさせよ」…。最後のものだけは、いささか誤解をしている人もいるようだが、昔の旅はほとんどが徒歩で、かなり過酷だったことは容易に想像が付く。
そのためだけではなく、行き先にもよるがかなりの時間と、膨大な費用がかかり、誰でもが気軽に旅ができる時代ではなく、生まれた町や村を一歩も出ることなく生涯を終えた人の数は圧倒的に多い。海のない場所に住む人々は「海」を想像することも叶わなかっただろう。現在では、パソコンかスマートフォンがあれば、世界のどこであろうとその風景を手に取るように見ることができるのは、昭和生まれの私にも夢のような話だ。
江戸時代は、一般庶民の「戸籍」や「婚姻」などの管理は「寺請け」と呼ばれる制度の中で、菩提寺が行っていた。幕府が、役所の機能の一部を担わせたことになる。それにより、寺院が持つ権力は強大となり、やがて腐敗が始まった。これが明治期の「廃仏毀釈」の原因の一つになるが、それはまた別の話だ。菩提寺は、戸籍上の問題以外に、婚姻、そして旅へ出る折に関所を通過するための「通行手形」の発行も担っていたようだ。
いろいろな手続きを経て、京の都まで江戸から旅に出たとしよう。中年男性の足で片道約2週間が平均だったという。1日に約35キロ歩く計算で、現代人にはとても無理な話だ。「東海道」には五十三次の宿場が整備され、「旅籠」に泊まることはでき、宿によっては二食付いてはいたものの、もちろん、今のように快適ではない。よほどの人でなければ予約をすることはないから、その日の身体や足の都合で宿を選ぶことになる。どこの宿でも一人でも多く泊めたいのは人情で、六畳の部屋に見知らぬ人たちと相部屋になるのも当然だった。当然、プライバシーは確保できないが、江戸時代の人々は、現代人ほど重要視もしなかっただろう。何を知られたところで、簡単に自分の元へ来られるほど交通機関が発達していなかったからだ。
そんなことよりも、見知らぬ人と相部屋でぐっすり眠っている間に、路銀を盗む「胡麻の蠅」や、場所が変わったことでの「水当たり」や「食当たり」の方が、よほど怖かっただろう。雨が降って「川留め」になれば、何日でも待たされるし、暗い山や峠の夜道では山賊も出る。
こんな想いをしてでも、一度は京の清水寺の舞台を観たかっただろうし、「お伊勢参り」にも出掛けたかっただろう。しかし、それは当時の江戸のどこからでも見えていた富士山の遙か向こうにあった。場合によっては長屋を代表してみんなから餞別を貰い、勇躍名所見物に出かけたお土産は、「錦絵」とも呼ばれる浮世絵で、今の価格にすれば1枚800円から1,000円ほどだろうか。腐ることはなく、嵩張らない何よりの観光土産で、今の動画や写真には及ばないが、江戸の人々には充分新鮮な風景に映っただろう。
こうした娯楽・物見遊山の旅もあれば、信仰の旅もある。信州信濃の善光寺へ、法華の祖・日蓮の身延山へ詣でたい、あるいは四国へお遍路に出たい、との想い。それが叶わない多くの人々のために、江戸や近郷近在にも「三十三か所」などの霊場巡りは行われていた。信仰の旅の究極は、四国の八十八か所の「お遍路」だ。これは今でもそうだが、番号の若い順から八十八か所を回り、次に逆に回る「逆打ち」と呼ばれる巡礼をする。これだけで終わりではない。この道を拓いた弘法大師が開祖の「高野山」へ詣でて、初めて「満願」になる、現代でも気が遠くなるような旅だ。
ここまで完全に終えられる人は少なかっただろうし、それを目指しても無理な場合も多かっただろう。季節にもよるが、四国を一周し、全部で1,400キロにも及ぶ旅だ。白装束に身を包み、菅笠には弘法大師と常に一緒との意味で「同行二人」と認める。今も残る、沿道の人々からの「お接待」を受けながら、ひたすらに歩き、目的の寺院へ詣で、御朱印をいただく。慣れぬ旅の中で、体調を崩すばかりか、命を落とす人も少なくはなかった。しかし、それでも良かったのだ。信仰の旅の途次で、弘法大師の元へ行くことができた、と当時の人々は考えたからだ。
時代を選んで旅の様子を眺めてみると、時間や経済だけの問題ではなく、当時の人々の死生観までもが垣間見える。「そうだ!旅に出よう!」と気軽にどこへでも行ける我々がいかに幸福な環境にいるか。
とは言え、過密な人口の中で、日々慌ただしい想いをし、高いお金を掛けて不便さを味わいに行く今の生活が幸福なのか、判断が難しいところではある。
人間にも「帰巣本能」がある以上、現在地を離れたい願望もあるのだろう。人生を旅に例える場合もあるが、これが一番過酷な旅かもしれない。