【意味】
歴史や古典の中に現代を生き抜く拠り所を見出すような人物ならば、自分の人生の師としても間違いはない。
【解説】
このコラムの連載もお蔭様で100回を超えることになりました。1講から50講まで「言志四録」、51講から100講までは「帝王学(貞観政要・宋名臣言行録)」を採り上げてきましたが、今回101講からは孔子の「論語」をご紹介します。
論語は、春秋戦国時代の思想家孔子(BC.552~479)の言動や弟子たちとの問答を記録した書物です。完成までに何回も部分的な編纂や改訂が行われ、紀元前1世紀頃にはほぼ現在の論語(20編)になったと推定されます。
孔子を祖とする教学を「儒教」や「儒学」と云いますが、儒教を宗教とすれば孔子は宗教家であり、儒学を道徳学問とすれば教育家となります。いずれにしても二千数百年の間、天下の名著として読み手の厳しい読書眼に耐えてきた書物ですから、現代の読者である我々も姿勢を正して緊張感を持って取り組みたいものです。
さて「論語」第1回の名句は、『温故知新(おんこちしん)』の語源になった言葉です。
このような言葉に接すると慌てて生身の師匠を探し求める人が多くなりますが、人生の師匠は生身の人間だけにこだわる必要はありません。自分の読史眼や読書眼が身につけば、歴代の一流の人物や一流の古典に人生の道案内をしてもらうこともできます。
特に書物は書き上がると著者の手元を離れ、読み手の読書眼に応じて評価される運命にあります。そして大半は瞬く間に紙屑となりますが、極めて一部の名著だけが百年千年の読者の眼力に耐え抜き、「思想の宝石といわれる古典」となるのです。
古典を通した先人との交流の1つに、その人物の苦難の時の年齢を調べる方法があります。例えば、勝海舟が咸臨丸に乗ってアメリカへ向かう洋上で、自暴自棄になり「バッテーラ(救命艇)を降ろせ!」と叫んだのが37歳の時です。明治維新を支えた後の大人物も、この時はまだまだ発展途上の人物だったことが窺われます。
また徳川家康が秀吉から江戸移封の命を受けたのが、「人生50年」といわれた時代の49歳の時です。後の天下人の家康も苦労の連続であったと理解できれば、不幸なのは自分だけでないと頑張ることができます。
私は28年間にわたり名古屋・浜松・静岡・沼津の4カ所で、年20回ほど『人間学読書会』という「名著・名句に学ぶ人間学の勉強会」を続けております。
この会のスタート時の名称は『古書を古読せずの会』でした。この名称は、天竜川の治水や北海道の植林など近代日本の発展に寄与した浜松市の偉人金原明善(めいぜん)翁の「古書を古読せず、雑誌を雑読せず」からの引用語です。
極めて簡単な表現ですが、古典を学び現代の生活に活用しようとする教えで、「温故知新」と相通じる格調高い名言です。