【意味】
上級の知者は、恒心があるから自分から染まることが無い。中級の知者は、恒心が無く相手次第で変わる。
【解説】
「貞観政要」からの言葉です。
「恒」とは常の意ですから、「恒心」とは格調高いぐらつかない心中の基準をいいます。
かつて選挙上手といわれた元首相は、「選挙に当選したかったら、政策演説会より握手で攻めよ」と言って、演説会を開きたがる候補者達を戒めました。「恒心の無い中級以下の国民だから、難しい政策講演会よりも、握手で心を掴める」と、見くびられていたのかもしれません。
また昭和時代に人気を博した風刺作家は、「儲けたかったら貧乏人を相手にせよ」と言っています。商売の相手だから金持ちかと考えがちであるが、貧乏な人ほど宣伝に乗せられて財布の紐を緩くしてしまいます。だから儲けるには貧乏な人が好ましいという理屈です。金持ちは倹約思想が身について、少々のことでは財布の紐を緩くしないですから、商売相手にはなりにくいということです。
諸行無常の千変万化の世の中を生きていくのであるから、ころころと変わらない恒心(不易)が必要ですが、一方では変化の時代だからこそ臨機応変の柔軟心(流行)も必要になります。
この2つを松尾芭蕉は、「俳諧での不易と流行」として説いています。新古を超越した落ち着きのある感性を不易(恒心)と称し、その時々の世情の感性を流行(柔軟心)と称し、仮に流行により斬新な表現をする場合にも、不易の部分をなおざりにするなと言っています。
学園には毎年新入生が入ってきます。今時の学生ですから奇抜なファッションの者も多くおりますが、二派に分かれます。その一派は、ファッション誌の流行だけを真似る傾向の集団で、チャラチャラした雰囲気が漂います。もう一派は、高校時代に部活などで生活習慣を鍛えられた集団で奇抜な中にも何か感じるものがあります。
農業でも扱いやすい化学肥料だけを続けますと、草を敷き堆肥を施した有機栽培の田畑よりも地勢が衰え、長期的には収穫が減ります。企業でも多額の交際費を使うだけで、商売の根幹となる商品開発を疎かにしていては繁栄が続きません。個人でも交遊の広さを自慢する人がおりますが、外見の努力よりも中身の育成が貧弱な人は、大成するには至りません。
掲句の「上智の人」とは、日々の生活の中で「慎独自考」や「慎独鍛錬」の人物修行ができている人で、いかなる時でも自己育成の緊張感を持っている人です。
9世紀の禅僧:臨済義玄に「随所に主となれば、立処皆真なり」とあります。仮に囚われの身になっても、秘めたる恒心まで牢番に預けるなという教えです。非暴力主義でインドの独立を勝ち得たガンジー首相、アパルトヘイトと戦って27年間の獄中生活に耐えた南アフリカのマンデラ大統領などは、随所に主となり恒心を持ち続けた人達です。