【意味】
自分は若い時には気力も充実し鋭敏であった。
晩年になると気力が衰えて思うようにいかない。
【解説】
この句は、一斎先生が67歳から78歳の間に書かれた言志晩録に掲載されているものです。
気力の衰えを憂いていますが、この後の「てつ録」が80歳を越えてからの著述でありながら、
最もたくさんの340条を書き上げている点を考えれば、この頃の先生の気力の充実振りはかなりのものであったといえます。
一斎先生を生んだ岩村藩(生誕は江戸藩邸)は、現在の岐阜県岩村町になりますが、
秋には『言志祭』という先生の遺徳を偲ぶお祭りが開催されます。
何年か前に地元の『佐藤一斎研究会』の鈴木隆一先生に誘われて、次の碑文の除幕式に参列しました。
『少にして学べば 則ち壮にして為すこと有り
壮にして学べば 則ち老いて衰えず
老にして学べば 則ち死して朽ちず』
関係者の方々が、この碑の完成を心から喜ばれている様子に、
先生の「死して朽ちず」の生き方の見本を垣間見ることができました。
また、この日はもう一つの素晴らしい教えをいただきました。
岩村は数百年の歴史の町です。史跡の旧邸「木村邸」を鈴木先生の父上の貞一さんに案内していただいた。
85歳になられたということでしたが、体力・風貌は60歳台前半、頭のキレは壮年でした。
学問的で温かみのある説明は人格のなせる業でしょうが、説明を受ける側をさわやかな気持ちにするのは流石でした。
凡庸に生きれば、掲句の「・・・晩年に至り、意のごとくなる能わず」という忠告になりますが、
貞一さんのように生きれば「壮にして学べば 則ち老いて衰えず」となれると思いました。
晩節を汚さない為には、一線を退く時も充分に活力を残しておくことです。
そのためには、常日頃の修行が大切です。「定年引退後はおまけの人生だから、ゴルフや旅行でもして
悠々自適に・・・」などと考えているようでは、瞬く間に立派な完全老人になって朽ちてしまいます。