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- 挑戦の決断(6) 王政復古のクーデター(大久保利通、西郷隆盛)
公議政体論から徳川をはずしへ
ミャンマーで、国軍が同国を民主化に導いたアウン・サン・スーチー国家顧問ら政府要人を逮捕した。民主的手続きを経ず武力を背景に政権転覆を図るクーデターである。「あまりに野蛮、途上国でありがちなこと」と他人事ではすまされない。わが国でも幕末から明治維新を導いたのは、大久保利通、西郷隆盛を中心とする薩摩、長州両藩士らによる、騙し打ちのような武力クーデターであった。慶応3年(1867年)暮れに起きた「王政復古事変」である。
米国のペリー提督率いる黒船来航以来、わが国の政治は開国か攘夷かをめぐって迷走、混乱を続けていた。徳川幕府は開国に踏み切ったものの、各国から不平等条約を飲まされ、新しい政治体制の構築が急がれていた。
諸外国による圧力を押し返すには、天皇を頂点とする新政治機構が模索されていた。土佐の山内容堂、越前の松平春嶽ら雄藩、親藩の諸侯の説得で、最後の将軍、徳川慶喜(よしのぶ)は、同年10月、幕府を廃止し政権を朝廷(天皇)に返す「大政奉還」を決断するに至る。
山内、松平らは天皇周辺の公卿らと天皇制下の諸藩連合を模索していた。政策決定機構も、諸侯・公卿による上院と、藩士、平民らによる下院を組織することに固まりつつあった。構想では徳川家も一諸侯として政権に参画する。いわゆる公議政体論である。
この新政権構想には、薩摩藩主の島津家も内諾していたが、大久保、西郷ら同藩の側近藩士らは、「混乱を招いた徳川家は不要」として、倒幕派公卿の岩倉具視(いわくらともみ)、当時は朝敵だった長州藩士らと密かに謀議をこらしていた。
「短刀一本あれば片付く」
同年12月9日、大久保らは手はず通り、御所のまわりを薩摩兵らで固め、同日夕から明治天皇を前に小御所会議が開かれる。徳川に恨み骨髄の長州兵も京都へ向かっていた。岩倉は抜き打ち的に「王政復古」の大号令を発した。残る難題は、徳川氏の扱いとなる。公議政体論を主張する山内容堂は、徳川はずしクーデターの動きを察知して、「この重要な決定の場に内府(徳川慶喜)がいないのはおかしいではないか」と気色ばんで岩倉を攻め立てる。
岩倉は「近年の混乱の原因をつくった内府は、官位を返上し、領地を天皇に返納するのが先である」と主張し、会議は深夜まで紛糾し休会した。
岩倉がひるんでいると朝議の内容を臨席していた大久保から表で聞いた西郷が言った。
「何をぐずぐずしている。短刀一本あれば片付く話だ、と岩倉卿に伝えよ」
失敗すれば死ぬ覚悟でやれという岩倉の決断を促すと同時に、待機する武力を動員するぞという脅しである。強引である。強引さには理由があった。諸侯が構想する公議政体論が通れば、新政権は徳川を交えた諸侯らに主導権を奪われ、下級武士である自分たちは用済みとなる。クーデターを企てた政敵として追い落とされかねない。
国の将来を思案する以前に、自分たちの身の安全は保証されない。政権転覆を志したからには失敗は死を招く。動き出したからには失敗できない。必死であるが、道理がない。あくまで道理を超えた権力闘争なのであるから。
敵をつくって世を二分する政治の魔法
明治維新以後、教科書あるいは小説でも、大久保、西郷、岩倉の行動は正義であるとして讃えられる。二条城にいながら兵を動かすことなく、直後の鳥羽伏見の戦いで敗れ、大阪城決戦も放棄して江戸へ逃れた徳川慶喜は、腰抜けとして描かれる。果たしてそうか?
慶喜は、政治闘争に敗れた責任を取り軍事抗争による不毛な混乱を避けたという見方もできる。勝者が書く歴史はそのことに触れることはない。
軍事力以外に力を持たないものたちは、「権威」と「敵」を利用する。王政復古のクーデターの成功者たちが使った「権威」は天皇であった。
この日、朝議の場で、山内容堂は、激烈な言葉で岩倉をなじっている。
「二、三の公卿たちは何のために今日のような武断を行ない、あえて天下の混乱を招こうとするのか。この暴挙をあえてしたその意中を推し量れば、幼い天皇を擁して権力を私しようとするものではないか!」。明治天皇、この時15歳。容堂の指摘は図星なのだ。
クーデターで新政権を手にしたものが次に利用するのは「敵」である。錦の御旗を押したてて皇軍を名乗り、あえて朝敵を仕立てて蝦夷地の果てまで追い詰める。敵味方を峻別することで力のない味方を大きく見せて圧倒する。
クーデター前日、大久保と西郷は躊躇する岩倉を説得した手紙が残っている。こうある。
〈王政復古を号令されれば、必ずや混乱を招くだろうが、二百年余り続いた(徳川の)太平にまみれた旧習を打ち払うには、一度は戦いを交えて天下の耳目を一新し、死中に活を求めるという着眼が急務だと思う〉
あえて対立軸をつくり権力を集中する。大統領選挙に敗れるまで(あるいは今も)トランプが信奉してきた政治的魔法と同じなのだ。
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
※参考文献
『日本の歴史20 明治維新』井上清著 中公文庫
『大久保利通』毛利敏彦著 中公新書