ターゲット支持層を取り替える
1979年に英国政権の座についた保守党の首相マーガレット・サッチャーの目の前には、国を蝕む構造的課題が山積していた。英国病と呼ばれた。主要産業が国有化されてきたことによる非効率な経済運営と、それによる国民の士気の低下の相乗効果がもたらした病である。
11年にわたる任期中、サッチャーは諸課題に手を打つ。財政赤字の削減に始まって、減税、国営企業の民営化、規制緩和、公共サービス分野での市場原理の導入まで、ひとことで括るなら、国家運営の効率化だ。彼女は矢継ぎ早の改革を推進するにあたって、受益層を明確に定めた。
改革を始めるにあたって、敵をあぶり出すことだけでは成功は覚束ない。最大の眼目は、だれの利益になるのか、利益を受けるターゲットを明確にすることなのだ。それによって、大胆な改革の受益者を味方に取り込み、施策推進のエンジンとすることができる。
いかなる改革にも賛否両論が出現する。「すべての国民のために」などという曖昧なターゲット設定では味方も増えず、改革は頓挫する。サッチャリズムと呼ばれることになる大胆な改革のターゲットをサッチャーは、「われわれの側の人たち」(our people)と呼んだ。
英国は伝統的に階層社会だ。土地・資産をもつ上層・中産層と、額に汗して働く労働者層は歴然と分かれている。サッチャーは大胆にも本来は労働党の支持基盤である後者に的を絞った。「働く人々」が生活を享受できる社会を目指した。保守党の中では異端とも言える発想だった。
改革の着手は公営住宅の払い下げ
政権を握った彼女が最初に取り組み成果を上げたのが、地方公共団体が所有する公営住宅の売却だった。公営住宅に三年以上借家住まいする住民に市場価格の3分の2以下で借家を買い取る権利を与える政策だ。英国では戦後一貫して福祉政策が重視され、低所得者の住居を国。公共機関が安い賃料で用意することが推進されてきた。「だれも買い取らないだろう」との世評に反して、サッチャー政権の期間に120万戸の公営住宅が売却され、国民の持ち家率は50%から70%に跳ね上がった。これにより国、自治体の住宅政策負担は減った。
この成功でサッチャーは、「われわれの側の人たち」の政策ニーズの把握に自信を深め、その後、種々の民営化政策推進の弾みとなる。さらに政策目標の柱を、「個人による資産保有の拡大」に据える。
時間をかけて炭鉱ストに切り込む
サッチャーというと、ゴリゴリの保守主義者であり、国の財政立て直しのために、強権で国民を抑え込んだというイメージがあるが、実は、そうではないということが、保守党党首として取り組み勝利した三度の総選挙(1979、83、87年)の結果からもうかがえる。
階層別に見た政党別投票行動を見るとよくわかる。労働党の支持基盤である「熟練労働者層」では、1974年の総選挙では、労働党が49%と半数の支持を集め、保守党のそれは26%に過ぎなかったが、サッチャーが指導した三回では、保守党が40%の支持を集め、労働党支持と逆転している。サッチャーの改革政策のターゲット設定は見事に成功している。
サッチャリズムへの最後の抵抗勢力として手を焼いたのは、左傾化が進む炭鉱労働者の組合だった。国営企業としての炭鉱会社と労組は馴れ合いのバランスを保っていたが、サッチャーが民営化の方向で不採算炭鉱の閉鎖に突き進むと、労働者の反発は強まり、全国の炭鉱でストライキが相次いだ。
炭鉱操業の正常化は避けられない課題だ。そこでサッチャーが取ったのは、老獪な時間稼ぎだった。石炭は重要なエネルギー源だったから、労組が打つストライキの影響力は大きかった。そこで、サッチャーがまず、指示したのは石炭備蓄の強化だった。ストの影響力を削ることになる。そしてもう一つが、効果的な警察力の整備だった。一つの炭鉱で違法ストを取り締まっても、全国各地に点在する別の炭鉱からピケ隊が動員される。モグラ叩きの状態を改善するため、全国の警察の連携を強化した。一定の国家備蓄と警察連携強化が達成された段階で、サッチャー政権は、ストライキの徹底取り締まりに乗り出す。
ストは過激化し、暴力沙汰が起きる。すると、サッチャーが取り込んできた上層の熟練労働者層が、「生活を脅かす存在」として過激な労組の運動に反発し、距離を置く。
こうして、六年の時間をかけて炭鉱ストライキは終息に向かった。「鉄の女」の異名とはうらはらに、実にサッチャーは、老練な一面も併せ持っていた。
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
※参考文献
『サッチャー回顧録(上・下)』マーガレット・サッチャー著 石塚雅彦訳 日本経済新聞社
『マーガレット・サッチャー 政治を変えた「鉄の女」』冨田浩司著 新潮選書