■大分市唯一の鉱泉
筆者はこれまで3800を超える温泉に入浴してきたが、すべての温泉を把握しているわけではない。なにしろ温泉天国である日本には2万2000もの温泉施設が存在するのだから。
それゆえに旅をしている途中で、知らない温泉の看板を見つけて飛び込み入浴することもめずらしくない。ときには、カーナビに表示されている温泉マークを頼りに、ふらっと立ち寄ることもある。
実際には廃業していたり、日帰り入浴お断りだったりすることもあるが、ときにはすばらしい湯にありつけることもある。思いもよらない名湯との出会い……。
大分市の西部にある「塚野鉱泉」との出会いも、突然やってきた。大分市街から長湯温泉に向けて車を走らせていると、「塚野鉱泉」という看板がちらっと目に入った。
大分県といえば、別府温泉、由布院温泉、長湯温泉など全国的に名を馳せるメジャー温泉地の宝庫。しかも源泉数は5000カ所とダントツの全国1位。訪ねてみたい温泉地が多かったからだと思うが、当時、塚野鉱泉はノーマークだった。
直感的にピンときた筆者は、すぐさま塚野鉱泉の看板が指す方角へハンドルをきった。少し奥へ入っていくと、だんだんと道が細くなり、温泉宿らしき建物が見えた。山々に囲まれた小さな温泉街だ。
■汗が噴き出す濃厚なにごり湯
はたして、日帰り入浴ができる温泉はあるのだろうか。温泉街の奥へと続く道を歩いていく。宿は3軒のみ(現在は1軒のみ)。小さな湯治場といった風情だ。おそらく観光目的で訪れる人は少数派だろう。
ところが、小さな湯治場のわりには意外なほど人の姿が多い。しかも、多くの人がペットボトルを抱えている。どうやら温泉を汲んで帰っているようだ。次から次へと温泉街の奥から、人がこちらに向かって歩いてくる。休日とはいえ、たいへんな人気ぶりだ。
しばらく歩いていくと、「ゆ」と書いた暖簾が見えた。無人の共同浴場だが、入口には料金箱があるので入浴できるようだ。
迷わず服を脱いで浴室に入っていくと、4人分くらいの洗い場のスペースと4人浸かればぎゅうぎゅうになりそうな小ぶりの湯船がひとつ。そんな素朴な浴室には、すでに8人くらいの先客がいた。キャパシティーぎりぎりである。しかし、みなさん常連のようで、慣れた感じで譲り合いながら、順番に湯船に浸かっていた。筆者は湯船に入るタイミングがつかめない。完全にアウェーである。
そんなとき、一人のおじいさんが声をかけてくれた。「空きましたよ。ここどうぞ」。助かった! すかさずおじいさんの隣に陣取った。
黄緑色をおびた白濁湯は、とろりとした肌触りで、とても濃い感じ。理屈抜きで効きそうである。その証拠に、5分ほど浸かっただけで、玉のような汗が流れだしてくる。温泉成分が濃厚な湯は、体が温まるのも早い。
■全国から湯治客が訪れる「飲泉の名湯」
先ほど声をかけてくれたおじいさんは、「この温泉は飲んでも効果がある。わしは1日でペットボトル1.5リットル分を飲んでいるから健康だ」と話してくれた。
実は、塚野鉱泉は胃腸によく効く「飲む温泉」として知られる。九州だけでなく、本州各地、遠くは韓国からも評判を聞きつけて湯治に訪れるという。なかには、飲泉を続けた結果、胃潰瘍が治った例もあるとか。
入浴後、共同浴場の裏手にある御堂のような飲泉所に立ち寄った。「塚野霊泉」と書かれた瓦屋根の建物の中に入っていくと、空気が変わる。ピーンと張り詰めた雰囲気といったらよいだろうか。
ひしゃくを使って、源泉をグイッとひとくち飲み込んだ。「▲×○◎?&!」。言葉にならない。炭酸のシュワシュワ感がすごいうえに、塩味と鉄味も半端ではない。
嫌な味ではないが、こんな強烈な源泉を1.5リットルも飲めるおじいさんは、ある意味健康かもしれない、と思った。こうした未知の名湯に出会えるのも、温泉巡りの楽しみである。