■温泉街の3つの魅力
仕事柄、「おすすめの温泉街はどこか?」と問われることが多い。人によって好みは異なるのでいつも悩むのだが、とりあえず「野沢温泉」を挙げることが多い。
野沢温泉は、近くに日本有数のスキー場などが広がるため、ウインタースポーツが盛んなイメージが強いが、温泉街としても日本有数の魅力を備えている。
その理由は3つ。1つは、石畳の温泉街に旅館や土産物屋が多数集まっていて温泉情緒があること。浴衣姿で温泉街を散策する湯浴み客が見られたり、朝市が催されたりするのもいい。活気のある温泉街は、今の日本では貴重な存在である。
2つめは、13の無人の共同浴場があり、観光客にも寸志で開放されていること。江戸時代から続く「湯仲間」という村人の自治組織によって管理されていて、地元の人と湯船の中で交流するのも楽しい。共同浴場が大切にされている温泉街は、間違いなく温泉の質もすぐれているものだ。
3つめは、共同浴場や旅館の湯は基本的にすべてかけ流しで、源泉の個性を実感できること。40ほどある源泉は、それぞれ微妙に個性が違っていて、湯めぐりをするのも楽しい。
■温泉は地元住民の「台所」
そんな温泉街の坂をのぼりきったところにある麻釜(おがま)は、野沢温泉のシンボル的な存在。国の天然記念物でもある。「大釜」「茹釜」などと名づけられた5つのコンクリート製の釜には、90℃ほどのアツアツの源泉がぐつぐつと湧き出している。毎分約500リットルと湧出量も豊富だ。
早朝に麻釜を訪ねると、湯気がもくもくと立ちのぼっていて、幻想的な光景が広がっていた。源泉が高温のため、観光客の立ち入りは制限されているが、地元の人は麻釜の湯を生活のために活用してきた。
昔は、高温の湯を利用して麻を茹でて、皮をはぎ、繊維をとっていたという。今では、野沢温泉の台所としても活躍。とくに夕方になれば、たまごやとうもろこしを茹でたり、野沢温泉の名物である野沢菜などの野菜をゆがいたりする光景を見学することができる。温泉で洗った野沢菜は、アクが抜けて風味が増すという。
残念ながら、麻釜では入浴できないが、共同浴場の多くには、麻釜の湯が引かれている。天然記念物の湯に浸かれるとは、なんと贅沢なのだろう。
■13の共同湯めぐり
かつて筆者が日本全国3000の温泉をめぐる旅をしていたとき、2日間かけて13の共同浴場をすべてまわったことがある。どの浴場にも個性があって、湯めぐりをしていても飽きない。
神社仏閣を連想させる荘厳な木造建築が印象的な「中尾の湯」、透明、白色、緑色と色が変化する「十王堂の湯」、エメラルドグリーンの透明湯と黒い湯の花が異彩を放つ「真湯」、野沢温泉では珍しいぬる湯がかけ流しにされている「熊の手洗湯」など、どれも甲乙つけがたい。
しかし、野沢温泉に来たら必ず入浴しておきたいのは、共同浴場のシンボル的な存在である「大湯」。温泉街の中心にある木造の湯小屋は風格が漂う。
いつ訪ねても観光客で混雑しているが、大湯の独自源泉が楽しめる。熱湯とぬる湯に分けられた2つの湯船には、硫黄が香る無色透明の湯がドバドバとかけ流し。ぬる湯の湯船でも浸かるのに躊躇するほど熱いが、いったん体を湯に預けてしまえば、さっぱりとしていて身も心もふにゃふにゃになる。
最後に、13箇所目となる「滝の湯」へ。3人もつかればいっぱいになってしまう小さな湯船だが、アツアツで新鮮な湯が絶えず注がれている。
たまたま湯船で一緒になった東京から来た中年男性2人組に、「滝の湯で13箇所目です」と告げると、「すごい! 立派だ! 一生自慢できるぞ!」と、こちらが恐縮してしまうほど驚いてくれた。そのリアクションの大きさを見ていたら、なぜだか怖くなって、「日本一周中で、1300以上の湯に入った」とは言えなくなってしまった。この事実を告げていたら、果たして、どんなリアクションが返ってきただろうか……。