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- 挑戦の決断(7) 戦いに勝つにはまず組織力(武田信玄)
五輪組織委混乱の本質
開幕まで5か月となった東京五輪・パラリンピックの組織委員会が迷走を続けている。発端となった森喜朗会長の「女性がたくさん入っている(各種競技団体の)理事会は時間がかかる」という〈女性蔑視発言〉は、組織のトップとして言語道断であるが、問題の本質はもっと根深い。ワンマン型リーダーをいただく組織の悪弊を読み取るべきである。
一見、「女性」を差別したように見えるが、女性であろうと男性であろうと、「多様な意見が出る会議は集約するのが面倒でなかなか結論が出ない」というぼやきこそ危険なのだ。「結論はオレが出す。みんなは黙ってついてくればいい」。会議はオレが出した結論を承認する場だという、ワンマンが陥りがちな驕りである。「出席者はわきまえていればいい」のなら会議は要らない。
森会長には、招致段階からコロナ禍による一年延期という非常事態まで、無報酬で東奔西走してきた自らの指導力、行動力への自負があるだろう。強力にリーダーシップを発揮したからこそここまで来たことは一面の事実かもしれない。
女性蔑視発言が問題化した後も、組織委関係者は問題の火消しに躍起になるばかりだった。強面で「わきまえる」ことを強要されれば、言うべきことも言えず、組織内の批判能力まで麻痺してしまうのである。トップ任せの“効率的な”運営の陰で、問題が生じても自浄作用が働かなくなってしまう。
信玄の組織運営術と覚悟
リーダーの決断のスピードが問われた戦国時代、甲斐の英雄、武田信玄は強力な軍団運用、領国経営のために三つのことを心がけた。①出身門地を問わない能力主義の人材登用②公平な論功行賞③合議制による幅広い意見の吸い上げ−である。
これによって、分国の寄せ集めだった家臣団の団結は増し、志気は上がった。信玄による最強の軍団の組織運営術である。
さらに信玄は、こうした運営原則を法に定めて明確化した。甲州法度次第(はっとしだい)五十五か条だ。その最終条項にこうある。
〈晴信(信玄)の振る舞いが、法度に反することがあれば、身分の高い低いを問わず書状をもって申告せよ。主張が正当であれば、(振る舞い、判断を)改める覚悟がある)
法の遵守を家臣、領民に徹底させるだけでなく、自らもその法に拘束されることを宣言しているのだ。現代的にいえば、組織としてのコンプライアンス(法令遵守)規定である。
さて組織委員会の混乱の第二幕では、、、
一旦は問題の発言について五輪憲章が掲げる差別排除、平等原則に反することを認めて謝罪した上で続投意思を示した森会長だが、世論の反発が高まるや、辞任の意思を固めた。そして組織に諮ることもなく、辞意表明前日に盟友である川淵三郎・組織委評議員会議長を自宅に呼び出して後継就任を依頼した。「やめる会長が後継指名するとは筋違い」とさらなる反発を招いた。筋違いどころか、会長が後継を決定する権限など定款のどこにもないのである。
混乱を収めるためには、規則も無視し、「この組織はオレが切り盛りして当たり前」という驕り、横紙破りだ。ワンマンの弊ここに極まれり。
一人働きは無用
一連の組織委の混乱を見れば、問題が単にジェンダー(性別)差別にとどまらず、ワンマン組織の根深い弊害を露呈したものであることがわかる。
「だがしかし、彼なしに五輪実現に向けてここまでたどり着くことはできなかった」と考える方も多いかもしれない。会議、会議の日本型組織、企業は決断が遅いとも指摘される。強烈なリーダーシップで民主的合意を待たず企業を引っ張らないと海外企業に出遅れる。創業者企業が頑張っているのは、その強力なリーダーシップあればこそだと。果たしてそうか。武田信玄を見るがよい。彼は言い遺している。
「今後は一人働きは無用である。足軽を預かっていながら独りよがりの行動をとれば、組のものは組を失い、味方の勝利を失う」
決断にあたっての足手まといは、長い会議なのではなく、会議で出る多様な意見をうまく生かせないリーダーの力不足にある。
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
※参考文献
『甲陽軍鑑』吉田豊編訳 徳間書店