【意味】
幸・不幸の境遇に繋がる入口(門)が最初からあるのではなく、各人の心の受入姿勢が、幸・不幸の境遇に繋がる入口(門)を創り上げている。
【解説】
掲句は、唐帝二代目太宗が臣下たちに欲望の戒めを説くために、名著「春秋左氏伝」の言葉を流用したものです。
春秋時代の約370年(前770~前403年)とその後の戦国時代180年(前403~前221)を合わせて「春秋戦国時代550年」といいます。この時代は、長期の戦乱期にもかかわらず、諸子百家に属する多くの思想家が排出され、格調の高い中国思想の基礎が築かれた時代です。(注:「子」とは先生、「家」とは学派のことです)
今から2500年前に「諸子百家思想」という優れた君主の統治思想が確立されたことも驚きですが、更なる驚きは名君太宗ほどの人が、1000年前の思想書を学び、臣下達の教育に利用していたという姿勢です。
先人の言葉や行動を学ぶことを「前言往行の学び」といいますが、いつの時代でも臣下や部下の人心掌握法の学びができていない指導者の組織は、持続性に問題が生じがちです。
中国史上最高の名君で聡明で弁の立つ太宗が、謙虚に「春秋左氏伝」などの名著を学んでいた事実を視ますと、生まれつきの天才為政者というよりも隠れた努力家の為政者の雰囲気が漂ってきます。昔よりはるかに強い権利意識を持つ社員を束ねて企業運営をする現代経営者ですから、太宗以上に帝王学や人間学を学ぶ必要があります。
本論に戻ります。掲句の教えは「心の主人公は自分であるから、幸せを招く心の状態を自分で創り出し、不幸を招く状態を自分で創り出すな」ということです。
掲句に続いて太宗は次のように述べています。「・・(自分の心が禍福を招く)ということが解っていても、なぜ不幸に陥ってしまうのか。それは、その人間が財産利益に心を奪われ、分不相応の欲望を貪るからである。・・どうか先人の教えをしっかりと学んで戒めの言葉にし、くれぐれも今得ている地位身分を失うことの無いように・・」と親切に諭しています。
心の受け取り方はまちまちですから、Aさんの有難さがBさんには不満に感じることもしばしばです。人間学的には不満が生ずるというのは「受入度量」に問題があるからです。
「仁眼長所で視れば満足が生まれ、嫌眼短所で視れば不満が生まれる」(巌海)となります。思いやりの眼で長所を視ることを怠りますと、気付かないうちに嫌味の眼で周囲の短所を視て不平不満がクセになります。
主宰する読書会の例会で会員の一人が、「現代は誰もが自己権利を過剰に要求するが、満たされる部分は一部であるから、満たされない部分に不満が残る。本来は満たされた部分に感謝すべきであるが、どうも満足よりも不満がはびこるのが世の常である。仁眼長所を増やし、嫌眼短所を少なくする訓練を心掛けることが、『100万人の心の緑化作戦』のメンバーとしての心意気であると思う」と発言され、会場は拍手喝采となりました。