つい先日まで、アラブ首長国連邦に行ってきました。
初めて経験する中東の夏は、聞きしに勝るもので、
50度にも迫ろうという気温、時に100パーセントになることも
あるという湿度は、まるでサウナの中を歩いているよう!
ある程度は覚悟していたものの、
未体験の蒸し暑さに驚くばかり。
ついついクーラーの効いた室内に避難したくなりました。
もちろん、炎天下の日中は、
現地の人々でさえも気を付けていることですから、
適度に休んだり、あまり出歩かないことは、
決して誤ったことではありません。
しかし、ある時、気づきました。
自らの心身で、本当にその暑さを実感する以前に、
気温などの数字データや、酷暑に関する注意情報に、
既に支配されていたのではないか、と。
これは、僕が毛嫌いしている
今の日本全体に蔓延している"頭でっかち"な状態
そのものではないか、と。
実際に自分で感じ、考え、行動する前に
データや情報、ニュースなどに踊らされて
最初からダメだ、無理だと決めつけている負け犬と同じ。
何とも恥ずかしい気分でした。
それに気づき、"あること"を思い出した後は
全く別の感覚になりました。
もちろん、強烈な気温も湿度も何も変わらないのですが、
不思議と気にならないのです。
猛暑も含め、アラブと共生する感覚。
自らがアラビアの大地そのものになる感覚、とでも
言えばよいでしょうか。
最終的に、実に大きな学びを得ることができました。
僕の助けとなった"あること"とは、
今回紹介する『ただ坐る』にあります。
ただ坐る 生きる自信が湧く 一日15分坐禅 (光文社新書)/amazonへ
著者のネルケ無方さんはドイツ人。
日本在住20年以上で、兵庫県の山奥にある安泰寺で住職を務めています。
坐禅中心の修行を行うため、檀家を持たず、自給自足で生活。
海外からの参禅者も数多く訪れる異色のお寺、変わり種の住職として
メディアからも大きな注目を集めています。
「坐禅をして何になりますか?」
という問いに、ネルケさんはこう答えます。
「何にもならない」。
何にもならないからこそ、坐禅がよいのだ、と。
「ただする」ことがよい。
一見、え?と思うような話かもしれません。
しかし、今の世の中、「ただする」ことほど難しいことはありません。
あふれる情報や、複雑な人間関係の中、
人は何も考えずに、ただ行為することがほとんどないからです。
「何も考えてません」などと言うときは
えてして、良からぬことを思っているときですし(笑)。
「本当の意味での集中とは、そのものになること」
とネルケさんは説きます。
「私」が坐禅をするのではなく、「坐禅が坐禅をする」。
「私」が呼吸するのではなく、「呼吸が呼吸する」。
雲をつかむような言葉かもしれませんが、
この考えが僕の中に入っていたおかげで
アラブでの充実につながりました。
ネルケさんは非常に思慮深く、
言葉の1つ1つが鋭く、的確。
坐禅をするしないに関わらず、
今の日本人がぜひとも知っておくべき大切なことが
たくさん書かれています。
そして、本書を読む際に、おすすめの音楽。
ドイツ人のネルケさんに敬意を表して
ドイツ人作曲家の音楽がいいかなと思いましたが…
いろいろ試してみた結果、本書との相性はイマイチでした。
ベストと感じたのは、オカリナの宗次郎さんのアルバム
『古~いにしえみち~道』です。
不思議と心が落ち着いてきます。
深いところで広がっていく感覚をぜひお楽しみください。