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- 故事成語に学ぶ(6)良賈は深く蔵して虚しきが若くす(りょうこはふかくぞうしてむなしきがごとくす)
老子が考える優れた商人
道家思想の祖である老子の言葉とされる。「賈(こ)」とは商人のこと。「良い商人は商品を奥深くしまって、店頭には何もないように装う」という意味だ。
さらに進んで、「経営が順調な商人は、決して儲けを誇ったり自慢したりはしない」という解釈もある。
中国古代の言葉であるが、二千数百年を経た老子の徒である現代の中国の経営者や華僑商人たちもこの言葉を肝に銘じていると聞く。わが国でも老子の言葉は生きている。商都大阪では、今でも、「儲かってまっか?」と問われて、「いやぁ、新商品が当たって、ありがたいもんです。実はね…」などと答える商人はいない。「まぁまぁでんな」と応じるのが常識だろう。
儲けを誇りたがるのは人の常
ところが近ごろテレビをにぎわせる IT業界や流通業界の若手経営者たちは、流儀が違うらしい。新商法が受けてバブルまがいの儲けが出ると、会社の利益を個人の資産に巧みに付け替えて、億万長者を気取る経営者もいる。あるいは、美人女性タレントとの浮き名をこれ見よがしに露出し、会社の資金だか個人資産だが知らないが、自らのツイッターの拡散に協力することを条件に1億円をばらまき人気を煽ろうとする者もいる。
話題性を宣伝材料に、順調な経営を世間に誇り、さらに投資を呼び込もうとしているのだろうが、どこか危うさが漂う。当方のやっかみかもしれないが。
景気に循環があるように、商売の浮き沈みは世の常であろう。沈んだ時を予測して対応していればいいのだが、この手の経営者たちは、自信家であるから、天才が生み出したビジネスモデルは永遠に右肩上がりで利益を生み出すと考えているようだ。
肝心なのは人としての生き方
『史記』によれば、「良賈は…」の教えは、まだ駆け出しの孔子が、老子に人生のあり方(礼)について教えを請うたときに、諭された言葉だという。表題の箴言(しんげん)に続けて老子はこう説いた。
「君子は盛徳ありて、容貌、愚なるがごとし」(優れた人物は、すばらしい徳を身につけていても、それは表には出さず、見た目はまるで、愚か者のように見えるものだ」
これこそ礼の極意だ、と老子は知に走る孔子の弱点を見抜き、皮肉に指摘したのだ。
孔子は老子と別れて、弟子たちに言った。「飛ぶ鳥も泳ぐ魚も走る獣も捕らえる方法はあるけれど、天に昇って行く竜だけは捕らえどころがない」と。捕らえどころがないと言いつつ、孔子は、老子の言わんとしたところを理解したはずだ。
商人のありようになぞらえて説いた、人のあるべきたたずまいの教訓。
〈商人もまず人としてあれ〉。逆に読めばそうなる。先に危うさを指摘した若き経営者たちも、「愚かを装った徳」を身につけることができるなら、彼らの経営の行き先も希望があるかもしれない。転ばぬ先に。そう願う。
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
※参考文献
『世界文学大系5B 史記★★』司馬遷著、小竹文夫・小竹武夫訳 筑摩書房
『十八史略』竹内弘行著 講談社学術文庫
『中国古典名言事典』諸橋轍次著 講談社学術文庫