- ホーム
- 指導者たる者かくあるべし
- 故事成語に学ぶ(7)月満つれば則ち虧く(つきみつればすなわちかく)
野心家もいろいろ
夜空を見上げて、誰もが感じる。満月が過ぎれば、一夜ごとに月はやせ細る。絶頂期はながく続かない。「栄枯盛衰」のことわり。諸行無常。引き際は肝心である。儒教の経典『易経』にある。ユーミンの恋愛ソングでは、だから、満月直前の「十四番目の月がいちばん好き」と歌う。
そんな当たり前の人生教訓について重ねて書く何物もない。『史記』の中で、この言葉を使って古代の大国・秦国の宰相の地位を手に入れた蔡沢(さいたく)という野心家の人生に興味があるので、書いておく。
戦国時代の中国、あらゆる手段を使って出世の糸口を探そうとする有象無象の輩が走り回る。『史記』には、そうした群像が描かれていて、現代に生きるわれわれの周りにも現れそうだから、読んでいて飽きない。
蔡沢は、燕国の人で各国を渡り歩いてぶしつけに諸侯に面会を求めて、仕官を願い出たが、まったく相手にされなかった。趙に行ったが追い出され、韓・魏に向かう途中で盗賊に身ぐるみはがれるなど散々の日々を送っていた。
宰相を追い落とす手練手管
そんなどん底の暮らしの中で、ある噂を耳にした。天下取り一番手の大国・秦の宰相の応侯が、子飼いの二人が重大な不祥事を起こし難儀しているらしい。秦の国法では部下の不祥事は上司の責任だ。宰相の地位を追われかねない。
「よし」と蔡沢は動く。応侯に人をやって、「燕の蔡沢は優秀な知恵者で宰相の地位を奪うだろう」と伝えた。弁は立つが何の実績もない身でありながら、何と面の皮の厚いことか。応侯は怒って蔡沢を呼び出す。チャンス到来とばかりに蔡沢は宰相を説伏にかかる。
「あなたは、秦国のために内政、外交に大きな成果を収められた。ここで身を引かれるのが得策でありますぞ」。当初は相手にしなかった応侯も、歴史を引き合いに出して、引き際が遅れたために非業の最期を遂げた例をあげる蔡沢の長口舌に次第に不安になる。そして引退を決意し、秦王に後釜として蔡沢を推挙した。部下に連座して晩節を汚すことを恐れた。その弱みにつけこんでの蔡沢の大芝居だった。
説得の殺し文句が、「日は上れば必ず傾き、月は満ちれば欠けていきます」だった。
処世上手は危うし
さて蔡沢は宰相となり数ヶ月で讒言にあう。彼は悩むことなく身の安全のために病気と称して宰相の座をあっさりと明け渡す。隠居するわけでもなく、十数年、三代の王に仕え、最後は始皇帝の外交顧問格となった。
司馬遷は、彼の若い頃のエピソードを書いている。仕官先探しに躍起となっていたころ、占い師に寿命を問い、「43年」との託宣を受けて、仲間にこう言ったという。
「うまいものを食い、出世して富を極められれば、43年の寿命で十分だ」
彼は見事な処世術でそれを極めたのであろう。しかし、筆者はこんな男を友人に持ちたくはない。
司馬遷先生は、「困窮から発奮して宰相に上り詰めた弁の立つ賢者」と高い評価を与えているのである。あなたはどうお考えか?
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
※参考文献
『世界文学大系5B 史記★★』司馬遷著、小竹文夫・小竹武夫訳 筑摩書房
『中国古典名言事典』諸橋轍次著 講談社学術文庫