【意味】
貧乏でも悠々と楽しみ、金持ちであっても礼儀正しく不遜な態度を取らない。
【解説】
惜福とは、幸福を惜しみ大切にすることです。文豪幸田露伴は「惜福の工夫の有る人は、幸せな一生を送る人だ」と述べ、幸福の招来は本人の工夫次第だと断言しています。
中国の歴史書の『新五代史』では、「盛衰の理は、天命といえども、あに人事に非ざらんや」とあります。幸不幸に繋がる栄枯盛衰は、一般的には天地自然に定められた運命というが、どうして本人の生き様が招くものではないと言い切れるか・・・と疑問を呈しています。
筆者は40年間の会計事務所の経験から、金銭的な面から多くの栄枯盛衰を見てきました。その経験からいえば、「栄華を招くは自己努力6割・外部運4割であり、栄華転じて没落に至るは、自己の驕りと贅沢が10割なり」(巌海)と感じています。
栄華を極めるには本人の努力が基本ですが、それだけではどうしても不足で周りからの後押し(外部運)が必要になります。これに対して没落は、驕りと贅沢による100%の自己責任です。解り易く云えば、自分の財布に入る金は世間大衆から頂くものですから「他人様次第の金」となり努力を重ねても限界があります。一方出ていく金は自分の財布からの出費ですから「自分次第の金」となり、他人様と自分様の差が6割収入と10割支出になるのです。
顧問企業の皆さんに贅沢抑制の助言をしますと、何人かは「人並み以上に働きますから、少しだけ贅沢を・・・」となります。最終的には本人次第の金遣いですが、「一生幸運な業績に恵まれる自信があるなら別ですが、『贅沢の道は入り易く、倹約の道は入りにくい』ことを自覚してください」と述べ、交際費や高級社長車等の経費節減を諭します。
「分相応の収入に応じた正しいお金の使い方」を身に付けないことには、自分の使う金に復讐され、最後には金欠病の不幸な人生になってしまいます。
これは個人に限らず各種組織や国家王朝にも当てはまる理屈で、各王朝の歴史を見ても平和で豊かな時代が続くと、次第に豪華な法要や祝賀が催されて没落の道を歩むことになります。現代もオリンピックや主要国サミット等で「贅沢なおもてなし」をすることが国家のメンツのように捉える傾向がありますが、危険な兆候です。掲句にある「貧しくて楽しみ、富みて礼を好む」のような質素な国際交流を我が国が示せば、中後進国でもオリンピック等が開催される道が開けるはずです。
平家の興亡を描いた平家物語に「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色。盛者必衰のことわりをあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢の如し。猛き者もつひには滅びぬ、ひとえに風の前の塵に同じ」とあります。
これは気の緩みから生じる傲慢さを戒めたものですが、特に下線部分は現代人の生き方や企業の経営にも通じる最高の名言です。
自戒のために般若心経を毎日唱える指導者も多いようですが、平家物語の説く「諸行無常観」も是非毎日の誦句の一つに加えたいものです。