【意味】
知恵は水のようなものである。工夫して知恵を働かさなければ腐ってしまう。
【解説】
「宋名臣言行録」からの言葉です。
知は記憶、識は見分けの意から、知識とは頭の中の単純な記憶の分別作業です。恵は恵みの意ですから、知恵は知識を活用して自分も世間も恵みを受ける作業です。よって知恵に工夫の行動が伴わなければ、知恵本来の恵みが生まれないことになります。
私の実家はお茶の再製業者でしたから、小学校の頃から緑茶の茎を2本の指で拾い出す作業をさせられました。単純な作業ですが精神を集中させなければ小さな細い茎を拾えませんし、嫌々行っていては集中力が続きません。しかし父の指先は流石で的確に素早く茎を拾い、長時間の作業でもペースが落ちません。そんな父の口癖は、「工夫をすればするほど、誰でも楽に仕事ができる」というものでした。
孟子に「万物皆我に備わる」という大変勇気付けられる名言がありますが、箸の使い方を例にしてこの言葉の真意を考えてみます。
外国人も同じ手をしており、日本人だけが箸向きの手をしているのではありません。しかし小さな時からの習慣で自然に上手になり、外国人から見れば箸使いの名人となります。このことは、自分の手の中に名人級の素晴らしい才能(万物)が備わっていた証拠ですが、才能も継続的に使われなければ開花しないということです。
考えてみれば、命と共に立派な才能を保有し、その才能を活用すれば幸せになり、しなければ死蔵の才能になります。日本人は箸を使う文化の中で生きるからこそ、箸使いの才能を継続的に活用でき、外国人はその文化が無いから活用できないとなります。
実は箸使いの才能も人間性能の一部ですから、人間学でいう「天命」と「使命」の関係と同じになります。
広く捉えれば、誰でも「自然界の一微粒子の命と役割(天命)」を与えられ、少し狭く捉えれば「人間種族の一匹の命と役割(天命)」が与えられます。
しかし、この天命を自己の問題として正しく受け止めて、「我が人生の使命の役割」まで昇華できる人は多くはありません。箸文化の無い外国人が才能を開花できないように、自分の心の中に「使命観のある人生文化」を育てなければ、継続的な使命実現に向けた生き方が出来ないということになります。
主宰する「100万人の心の緑化作戦」の一環の『人間学読書会』のパンフレットに、
「育てよう 緑化の苗木は 君自身! 立ち上がれ 世直し役も 君自身!」
という標語を掲げて、個々の会員の「使命観のある人生文化」を育てております。