【意味】
自分は無能であるが、唯一の才能は人を採用し適材適所で使うことだ。
【解説】
「宋名臣言行録」からの言葉です。
自分の評判が気になった宰相:呂蒙正(リョモウセイ)は、部下にそれとなく聞いてみることにしました。部下は「閣下の評判は悪くはないのですが、何事も部下任せが過ぎるとの評もあります」と答えました。これに対して呂蒙正が発したのが掲句の言葉です。
呂蒙正は、当時の高級官僚試験の科挙(カキョ)を主席で合格した俊才です。しかし彼が後世に名を残せたのは、才により成し遂げた公務の実績ではなく、日頃持ち歩いた一冊のノートのお陰によるものでした。
呂蒙正は常にこのノートを持ち歩き、来訪する客人の話題に上った人物の評判を、その都度分類し書きとめておきました。そして宮廷から人材を求められる度に、ノートの中から適任者を選び公務にあたらせましたので、次第に人事の名宰相としての評価が高くなっていきました。
一般的に人事で難しいのは登用よりも、降格や解職であると言われます。ポストの空きがなければ優秀な人材登用ができないといって、自分が過去に登用した人物を下すのでは自責の念に駆られます。人情家のトップほどこの傾向が強く、人事の硬直の原因になりますから気を付けたいものです。
さらに辞任となると一層厄介な問題となります。人間学では「出処進退」を尊重します。出処は、人に請われて地位に就くことですので、取り立ててくれた人の判断が優先し自分は受け身となりますから、出処のタイミングは他人領域となります。
しかし逆の進退は、自ら進んで地位を退くことですので、自分領域の判断となります。一般的に地位が高く功績が大きな人間ほど、まだ組織に必要な人間と自己判断しがちですから、執着している意識もなく進退の時期をずるずると延ばしてしまいます。
「俺もそろそろ潮時だから・・」と取り巻きに相談すれば、恩義を感じている部下は「まだまだお元気ですから・・」と言うのが人情です。その言葉に乗せられ限界を超えてその地位に留まれば、恩義を感じる部下達でも反旗を翻して下剋上的な辞任勧告となります。功績を踏みにじるまことに哀れな末路となります。このように考えますと、「出処は他人任せ、進退は自分任せ」とありますが、地位ある人にとっては肝に銘じたい言葉です。
出処進退はこのように難しいものですから、宋名臣言行録には「人を挙ぐるには、須(スベカ)らく退を好む者を挙ぐべし」というような言葉もあります。自己推薦の出しゃばり屋を登用するより、自らの退任時を見極めることのできる人物を登用せよという教えです。
しかしそうかといって本物の人物が自ら退任した後には、偽物の人物ばかりとなって組織はますます窮地となりますから、多くの組織では役職定年を設け対処しているのが現実の姿です。