【意味】
君臣の出会いは水魚のようなものであるから、両者が呼吸を合わせて努力をすれば、国内は安定する。
【解説】
「貞観政要」の言葉です。
故事成語の1つに「水魚の交わり」があります。水を離れた魚は死んでしまうということから、水魚のような親密な関係を表した言葉です。
三国時代(222~280年。魏・呉・蜀の三国が鼎立した時代)の蜀帝・劉備玄徳と、軍師として迎え入れられた名将・諸葛亮孔明の関係を述べたものです。
中国古典には「水魚の交わり」と似たような句が多く、「管鮑の交わり」「断金の交わり」などがあります。
劉備は軍師孔明を日ごとに信頼し、孔明もまた劉備に恩義を感じ活躍をしました。両者の絆は日ごとに強くなっていきましたが、この様子に古参の有力武将である関羽や張飛などは面白くありません。この時劉備は「私にとって孔明が必要なのは、魚にとって水が必要なようなものだ」という例えを、嫉妬する武将たちに説いたと伝えられています。
そしてこの劉備と孔明の信頼関係は終生続き、特に孔明は劉備亡き後もその子の愚帝劉禅に対しても忠義を続け、かの有名な「出師表(スイシノヒョウ)」へと繋がっていきます。
このような堅固で長期の信頼関係を築いたからこそ、これを称えて『水魚の交わり』の故事となりますが、その裏で関羽や張飛といった旧知の豪傑たちが嫉妬心に駆られてしまったことは、人間学の学びからしますと大変興味深い研究対象です。
一般的に嫉妬とは、自分より優れた者を妬み嫉むことを云います。更に恋愛関係などでは、従来注がれた自分への愛情が他者に移ったとなれば、裏切った者への恨みよりもまして、関心を注がれた者への嫉妬心が強烈なものになります。
職場でも未婚の若い人同士の恋愛は、未来に繋がりますから微笑ましいものです。しかしこれが不倫の匂いのする婚姻者が関係するものとなれば、将来の破局により当事者のみならず職場の人間関係に重大な亀裂を生じさせます。それ故に職場の人達も本能的に破局を恐れますから、自由恋愛時代の現代においても、職場での不倫恋愛は好ましくないマナーの一つとされています。
言志四録にも「国を治るは淫靡を禁じ、冗費を省くを最も先務と為す」とあります。淫靡とは「性的なだらしなさ」となり、冗費とは「無駄な人件費や経費」となります。
最後に『水魚の交わり』を続けるコツは、「互いに成長を心掛け、新たな魅力を持ち続けること」にあります。諸行無常の世の中ですから、個人の魅力も年齢や環境の変化によって衰えます。ある研修担当者は「新人は業務能力が低くても頑張ろうとするから魅力的です。中堅は職務に慣れるに従い成長意欲に欠けるから魅力が衰えます。成長意欲を刺激することが研修の役割です」と云っていました。
個人の生活では刺激役となる研修担当者はいないのですから、「隠れた部分の日常生活の充実→今逆算法の慎独生活」を心掛けることが大切になります。