【意味】
私の叱責を恐れるあまり、知っていながら口を閉ざしてはならぬ。
【解説】
「貞観政要」にある唐王朝の2代目皇帝太宗の言葉です。
掲句の前文に次のような文章があります。
「この頃、ただ旨に阿(オモネ)り、情に順うを覚ゆ。唯唯として苟過し、遂に一言の諫諍する者なし。・・・もしただ勅書に著し、文書を行うのみならば、人誰か堪えざらん」
最近は私の意向に迎合し、感情を損ねないようにしている者が多い。命令にはハイハイとかりそめに聞き流し、諫言や議論をしてくれる者が現れぬ。勅書にサインをして、文書内容を部下に指示するだけのことなら、誰にでもできることだという意です。
君臣の理想的な形は、立派な人物の君主に対し、忠義を尽くす臣下の関係になります。
この場合、君主としては全てに正しい判断をすることは難しく、時には迷い弱気にもなりますから、信頼する臣下に相談しながらの決断実行となります。
一方信頼された臣下としては、『忠』とは誠の心であり『義』とは正義の心ですから、君主を助ける行動となります。しかし、体制派臣下としては一旦君主の決断が実行に移された場合、決断に一役加わった経緯もあり、途中で苦言を呈することができない環境が生じます。
昔から「明君の治世の陰に諫言臣下あり」(俗諺)と云われますが、諫言とは、勇気を以てする忠臣から君主への苦言のことです。絶大な懲罰権を持つ君主に小言を言うとなれば、身の危険が伴います。諫言を個人で行えば君主への不敬罪や反逆罪とされる恐れがあり、集団で行えばクーデターと誤解されかねない危険が伴うからです。
これ故に論語には、諫言する臣下の留意事項として「信而後諫」(シンジコウカン:信じられて、而して後に諫む)とあり、逆に諫言を受ける君主側の留意事項として「臣には近づきて、押さえ過ぎるるべからず」(俗諺)とあります。委縮したイエスマンばかりの臣下を育てては、君主が間違った決断をした場合に、諫言する臣下がいなくなります。ですから明君の陰には、真の意味での諫言臣下がいるということになります。そして両者が機能して初めて、安定した長期治世が行われることになります。
太宗は、後世の史家に評価を得た名君中の名君ですが、一方では墓穴を掘らない賢い治世をした明君としても超一流です。「貞観政要」に次の記述がありますが、流石は一流の明君と感心せざるを得ません。
「人のことを奏するを見るごとに、必ず顔色を仮り、諫言を聞く」
(臣下が報告に来るごとに、必ずにこやかな笑顔を心掛け、その諫言を聞いた)
福相の老人に「どうしたらそのような笑顔が保てるのですか?」と聞いてみました。すると「トイレの度に鏡の前で「仁眼長所・仁眼長所・・・」と繰り返しているうちに自然と笑顔が保てるようになりました」と返ってきました。更に「心の主人公は自分だから、自分から不機嫌になるようでは上手な生き方とはいえません」と付け加えられました。