【意味】
私は一介の庶民学者でありながら帝の教育係になった。(そのような責任がありながら)どうして厳格な教育を放棄して自重しなければならないか。
【解説】
「宋名臣言行録」の言葉です。
布衣(フイ)は庶民、師傅(シフ)は教育係。学者の程伊川(テイイセン)は、幼帝の教育係になり厳しい指導をしました。掲句は、この様子を周りの者が見兼ねて忠告した際の返答です。
完全な人間はいませんから「不完全な教育者が、不完全な生徒を教える」ことになります。それ故に、不完全な自分が教えさせていただくという謙虚さを持つ半面、促し・引き出し・育てることが教育の基本ですから、教える側には凛とした威厳も必要になります。
最近ではちょっと厳しく指導しただけで騒がれることから、「褒め育て」などと称して、企業でも学校でも教える側が叱ることを避け妙に迎合的なっています。威厳の必要性を理解し自分の器量を鍛えて、本来のどっしりとした教育ができる教育者を目指したいものです。
君主封建時代では、帝王一人の成長度合いが国の未来を左右しましたから、帝王教育は重要な意味がありました。帝王がいない現代民主国家では帝王学は不要かといえば、そうではありません。むしろ「民主とは全国民が君主の意味」ですから、全国民向けの現代帝王学教育が必要になります。物騒な表現をすれば帝王一人が無能ならば暗殺してでも交代可能ですが、全国民が君主であれば入れ替えは不可能です。残された道は、国や社会の形成者意識を持った国民を育て、力を合わせた国創りをするのが、現代民主国家の進むべき道となります。
我が国では国民教育に関して『教育基本法』が制定されており、第1条の(教育の目的)に「教育は人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた・・・国民の育成を期して行われなければならない」とあります。この条文は修飾語が複雑過ぎて日本語の文章としては失格ですが、教育の目的という点からは充分に及第点を与える内容で、ポイントは次の3点です。
「人格の完成」→国民としての自己能力の向上(経済的・精神的の独立能力の育成)
「平和で民主的な」→よい国や社会を創ろうとする前向き姿勢
「国家や社会の形成者」→所属組織の形成者意識(家族・クラス・職場・社会等)の養成
別視点からの教育の目的は、国民の「経済的・精神的な独立心の養成」ですが、最近では逆に自立を放棄した「似非弱者の振りをしたタカリ国民」が増えています。不遇な人々の救済は大切ですが、似非弱者の出現は道徳面と財政面から国家の危機を招きます。
千年後の世界史には、次のような記載がされるかもしれません。
「20世紀の前半のアルゼンチンと後半のジャパンは、一期間だけ稀に見る裕福な国であった。しかし共に『国民の経済的・精神的な独立心』の育成に失敗し、大量の似非弱者というタカリ国民が増加し、福祉の名のもとに国の富に群がった。結果として栄華も短期に終わった」と。