翌月、再度盛田社長が賛多弁護士のもとを訪れました。
賛多弁護士:いかがでしたか、社員の方々の反応は。
盛田社長:うちの経営理念は知ってるよな、って社員に聞いたのですが、ほとんどの社員が言えませんでした。非常にショックです。日々の会話で何を聞いていたのかと思って、それも聞いたのですが、それは個別の指示を受けているだけだと思っていた、ということでした。
賛多弁護士:がっかりされたかもしれませんが、そのように社員が正直に話してくれているというのは非常に喜ばしいことですね。
盛田社長:どうしたらよいのでしょうか。
賛多弁護士:私は、正直なところ社員数が少ないところで、社員の入れ替わりがあまりない状況であれば、経営理念というものが形式上存在しなくても、それほど問題は起きないと考えています。
しかし、一定の規模を超える会社では、経営者と社員との間で直接的で十分なコミュニケーションをとることが難しくなります。また、盛田社長が気にされているように、経営者が交代する場面では、その後継者にはこれまでの歴史を踏まえ経営理念というものを十分に伝えておかないと、後々、想定しない事態が発生しかねません。そのため、少なくともいずれかに該当するような場合には経営理念というものを十分に会社内に啓蒙することが必要になるのです。
ちなみに、盛田社長は社員に経営理念が伝わっていないとがっかりされているようですが、私は直接的な言葉がないだけで経営理念が御社の当然の価値観として無意識に共有されていることは十分に考えられると思っています。
盛田社長:そうならよいのですが。。。しかし、いずれにしろ、今のままでは将来的に社員が入れ替わっていくうちに、経営理念は失われるということになると思います。どうすれば良いのでしょうか。
賛多弁護士:一つは、日々の事業活動においては経営理念と日々の行動とを結びつける説明を社員に対して丁寧に行うことです。また、もし盛田社長が、後継者に社長を譲っても、株主としては残るということでしたら、定款に経営理念を記載する、ということをしても良いかと思います。エーザイ株式会社やイオン株式会社等の上場会社も定款に経営理念を定めています。これを記載することによって、株主の立場から経営理念に反する後継者の行動は定款違反であるということができます。
盛田社長:なるほど。
賛多弁護士:また、経営理念は会社の存在意義や理想、決意を語っているものといえます。そのため、投資の意思決定や経営上の重大な判断を下さなければならないときの拠り所となるのです。それだけに、どれだけ優秀な人でも経営理念に賛同できない人であれば、雇わないという大企業もあります。
盛田社長:経営理念というのは、そんなに大事なものだったのですね。私自身の認識も甘かったように思います。
賛多弁護士:事業を承継する前に経営理念の重要性がわかっていただけて良かったです。
盛田社長:経営理念の重要さは非常に良くわかりましたので、現在の経営理念を再検討するところから始めたいと思います。
賛多弁護士:また、経営理念について機会があれば、お話しますね。
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経営理念は綺麗ごとと思われたり、経営者からすると言葉にして言わなくても十分に社員に伝わっていると考えられていることが多いです。しかし、その綺麗ごとが語れない会社は今後、経営が厳しくなると考えられます。たとえば、そのような会社は人口減少が加速するこれからの社会では採用が難しくなります。経営理念に関心を向ける時期は入社の時期と退職が近くなる時期です。採用面接を受けに来る人は、御社の語る経営理念をよく見ています。
執筆:鳥飼総合法律事務所 弁護士 町田 覚
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