スムーズな事業継承のために、1994年から新しい賃金人事制度を導入した㈱ヤスナガについては本コラムの第12話で紹介しました。当時の㈱ヤスナガは正社員30名弱の会社でしたから、階層数は4段階しか作りませんでした。はじめは(1)アルバイトでもできる程度(I等級)の仕事をやっている人、(2)自己の判断で任せてもいい程度(II等級)の仕事をしている人、それから(3)リーダー的(III等級)役割をになう人、あとは(4)部長だとか課長だとか呼ばれている、永く勤めた、おじさん、おばさんたちです。そこで階層数は呼称の如何を考えず、IV等級構成にまとめました。併せて、自分の腹心になるべき人、若い人が採用できるように、その地域にしては相当高い賃金表を用意し、人材を集めていったのです。
同時に同社は最新の工作機械の導入を順次進めました。「この機械を扱わせたら誰にも負けない」高度な機械を使いこなせる社員を育てました。そんな伸び盛りの社員たちには必要な公的資格を取らせ、責任者として仕事を任せて行きました。新しいことに対応しきれないベテランから、若手社員たちに仕事の配分を順次置き換えていきました。こうして製品の精密度、歩留まりは飛躍的に高まり、品質の安定した商品を納期通りに納めることができ、しかもコストダウンにつながったと社長は説明してくれました。
そして2004年、「会社は大きく成長し、従業員は60名近くになりました。指揮命令系統が明確になり、ワンマンワンボスの組織もきちんとできてきたので、この際、IV等級構成だった責任等級の階層数をV等級構成に変えたい。」と相談を受けました。企業の成長のスピードに合わせて、階層数を変え、同時に自分が担ってきた人事の仕事にも担当責任者を定めて、権限の委任を進めました。
2012年7月14日九州北部豪雨が筑後平野を襲い、会社のある柳川では矢部川、沖端川の堤防が決壊し、本社工場の最新鋭機械を含むすべての設備、仕掛品、原材料が浸水し、ライフラインが完全にマヒしてしまいました。創業以来経験したことのない壊滅的な洪水被害に見舞われたのです。完全復旧までには2か月を要したのですが、その間、社長は「一週間で復旧するぞ」と社員を鼓舞し続けました。
本社工場の惨状を目の当たりにし、夏季賞与をあきらめた社員たち、会社の存続自体を危惧する社員の不安を一掃するために社長は決断しました。被災6日後の7月20日の支給日には社員全員に夏季賞与を満額支給し、労に報いました。加えて25日にはその月の給与に加えて、被災した社員には就業規則に基づき見舞金を渡しました。こうした社長の誠実でエネルギッシュな陣頭指揮は社員たちの忠誠心を高め、復旧作業の進行を速め、なんと被災から2週間後には再開のめどが立ったとのことです。損保の手続きも進み、しかも退職社員を一人も出さなかったことを社長の安永さんはしごく当然のことのように話してくれました。
そして2014年、制度導入から20年目の今年、この会社を再度訪問しました。最新の工作機械はさらに新しい機械に置き換えられ、同時に20年前は20歳台だった若い社員たちも40歳台のより重い責任の仕事を任せられる上級社員となり、整頓の行き届いた職場で仕事に励む姿が大変印象的でした。しかも、無駄な残業は皆無であり、今年も例年を上回る営業利益を計上できたとの報告をうけました。
そんな㈱ヤスナガのホームページには、
我社は本物のよい仕事を目指し、お客様の喜ぶ顔と少しでも地域に貢献できる企業であることを目標に、全員が一丸となってすべての仕事品質、評価を高め、そして納期厳守に対応できる体制を築き上げ継続的好循環に挑戦しています。
それを実現するためには、一握りの特別社員だけではなく、より多くの社員に十二分の仕事力を発揮させ、個性を引き出し、同時に調和を図ることができるかであり、そのための仕組みこそが大切です。
優れた組織の文化とは、昨日まで難しかった仕事を今日の当たり前の仕事に変えることであり、大切な事は仲の良い組織ではなく、仕事品質の高さが評価される組織であると考えます。
と思いの丈を素直に表現されていました。
少々手前味噌ですが、責任等級制の賃金制度を導入し、存亡の危機に直面した時でも、制度の正しい運用にこだわり、通常では考えられないことですが、夏季賞与を満額支給し、従業員の信頼と結束力を高めた安永社長。これからも地域を代表する優良企業として成長し続ける㈱ヤスナガの力強い姿を確信させられました。