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人事・労務

第63話 春季労使交渉をめぐる基礎知識と、中小企業が今こそ見直すべき賃金の土台

賃金決定の定石

 春季労使交渉の季節になると、「今年の賃上げ率は5.5%」「4.6%台を確保」など、単年度の数字が大きく取り上げられます。しかし、賃上げの議論は本来、もっと丁寧に構造を理解したうえで語られるべきものです。特に中小企業では、制度の理解不足や数字の読み違いが、結果として社員の処遇や組織運営に影響を及ぼすことがあります。今回は、賃上げを考えるうえで押さえておきたい基礎知識と、今の労働市場環境で中小企業が意識すべきポイントをお話します。

 

1. 「賃上げ」の中身を正しく理解する

 賃上げには、性質の異なる二つの要素があります。

● 定期昇給(定昇)

 賃金制度のルールとして毎年実施されるものです。
 年齢・勤続・職能の進展に応じて賃金表のステップが上がる仕組みであり、景気動向とは切り離して着実に実施すべき性格を持ちます。制度上の“約束事”であり、これをベアと混同してしまうと、賃金制度そのものの意義が曖昧になります。

● ベースアップ(ベア)

 賃金表そのものの底上げです。
 企業の支払い能力や労働市場の動向を踏まえ、賃金水準そのものを引き上げる取り組みであり、定昇とは目的も意味も異なります。

 この二つを区別しないまま「今年は定昇込みで3%だから十分だろう」と判断してしまうと、制度の本旨から外れた運用になりかねません。

 

2. 賃上げ率の“母数”を間違えると、世間相場と比較できない

 賃上げ率を語る際に、基本給の伸び率で比較してしまうケースが少なくありません。しかし、一般に用いられる賃上げ率の母数は前年の所定内賃金です。 基本給や基準内賃金で比較しないように注意してください。

    • 所定内賃金:所定労働時間内の労働に対して支払われる賃金(基本給+諸手当)
    • 基準内賃金:慣用的な言い回しで、所定内賃金と同義の場合もあれば、割増賃金の算定基礎に含まれる賃金(家族手当や住宅手当等を除外)を指すこともある

 この違いを理解していないと、他社との比較が正しくできません。
 さらに留意すべきは、連合など労働組合が公表する賃上げ率は組合員ベースであり、管理職は含まれないという点です。
 一方、多くの中小企業では管理職を含めた平均賃上げ率で経年比較することが多く、管理職の昇給が平均値を押し上げることで、一般社員の賃上げ率が実態より高く見えてしまうことがあります。数字の扱い方ひとつで、判断が大きく変わってしまうのです。

 

3. 単年度の賃上げ率だけでは、社員の生活は守れない

 2020年を基準にすると、2025年の消費者物価指数は111.9となり、この5年間で物価は約12%上昇しています。つまり、単年度で「今年は5%上げた」と社内に向けてアピールしても、累積で物価上昇に追いついていなければ、社員の実質賃金は目減りしたままです
 この“累積の視点”は、多くの企業が見落とされがちです。給与改定は単年度のイベントではなく、中期的に生活水準を維持・回復させるための仕組みとして捉えてほしいと思います。
 実質賃金を安定的にプラス化させるには、物価上昇率を超えるベースアップを継続することが必要だということを忘れないでください。

 

4. 若手だけが上がり、管理職が“割安”になっていないか

 最低賃金の上昇や採用競争の激化により、若手の初任給や20代の賃金は急速に引き上げられています。一方で、中小企業では管理職の処遇が据え置かれ、相対的に割安になっているケースが増えています。
 管理職は、人手不足の中で業務負担が増し、責任も重くなっています。それにもかかわらず、実質賃金がこの5年間で大幅に目減りしている可能性があるのです。
 管理職の処遇が低いままだと、

    • マネジメント意欲の低下
    • 権限委譲の停滞
    • 若手が管理職を目指さない

といった組織的なリスクが生じます。

 若手の底上げと同時に、管理職が役割・責任に見合った処遇であるかの見直しも欠かせません。

 

5. 中小企業が今こそ考えるべき「賃金の土台づくり」

 春季労使交渉は、単なる“今年の昇給額の交渉”ではありません。
 企業にとっては、賃金制度という土台を見直す絶好の機会です。

    • 定昇とベアの役割を明確にする
    • 所定内賃金を基準に、正しい賃上げ率を把握する
    • 中期的な賃金水準の回復を意識する
    • 若手と管理職のバランスを整える

 こうした視点を持つことで初めて、賃金制度が単なるコスト管理のツールではなく、人材確保・育成・定着を支える“企業の約束事”として機能し始めるのです。
 労働組合の組織率は16%しかありませんから、春季労使交渉は多くの中小企業にとっては他人事かもしれません。しかし、組合のない企業こそ、人と組織を見直す年に一度の節目として、この給与改定に前向きに臨んでいただきたいのです。

 以上、5つのポイントをお伝えしましたが、今春の給与改定を通して、自社の置かれた状況を客観的にとらえ直していただくと共に、中長期的な視点に立って自社の賃金戦略を検証していただければと思います。

第62話 賃上げに向けて、経営者が示すべき“覚悟と未来図”前のページ

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