徳川秀忠の職場禁煙命令
今世紀に入って職場での喫煙者への風当たりが次第に厳しくなって、2年前の受動喫煙防止法の施行によって今では屋内での喫煙は原則ご法度となった。しかし、分煙が叫ばれはじめた当初はどの職場でも〈隠れ喫煙〉をめぐってトラブルが絶えなかった。各フロアの片隅の物置部屋が喫煙ルームに指定されたが、その室内は煙もうもうで、ヘビースモーカーの筆者は、愛煙家社員を代表して営繕担当者に「喫煙者の健康を守れ」と逆ギレの抗議をして大きな換気扇を2基備え付けさせた。今となっては遠い昔の話である。
さて時計の針を400年巻き戻そう。戦国時代の末期に煙草がわが国に入って来て、江戸時代になると、江戸城内にも喫煙の文化が広がりはじめる。ところが、二代将軍の徳川秀忠は大の煙草嫌いで、「城内では一切の喫煙を禁じる」とお触れを出し、老中の土井利勝(どい・としかつ)に取り締まりを命じた。
利勝は、煙草目付という新職をもうけて城内を巡回させたが、愛煙家たちはこっそりと茶飲み場(給湯室のようなもの)にキセルを持ち込み目付の目を盗んで隠れ喫煙を始めるようになる。目付から報告を受けた利勝は、ある日ふらりと茶飲み場に姿を現した。取り締まり総責任者の見参に室内に緊張が走る。将軍の禁煙命令に背いたことがわかればただでは済まない。居合わせた数人はあわててキセルを隠し、煙を窓から表へ払って黙りこくった。
自ら範を示し命令の実を上げる
利勝は、一同を見渡してニヤリと笑った。そして言う。「どうだ、隠れて吸う煙草はうまいだろう」。そこから彼は意外な行動に出る。「わしにも一服吸わせろ、キセルと煙草を渡せ」と要求した。証拠を押さえるつもりか。たじろいだものの、老中の要求だ。一人がキセルに煙草を詰めて火をつけて渡すと、利勝は煙を深々と吸い込み大きく吐き出して、「うむ、隠れて吸う煙草ほどうまいものはないな」と言い残して部屋を出て行った。
不思議なことに、いつまで経ってもおとがめはない。代わりにこんな噂が流れてきた。
〈隠れ喫煙者たちと一緒に煙草を吸った老中の土井様が上様からひどく叱責を受けた〉
利勝は、隠れて煙草を吸っていた連中の名を告発する代わりに自ら同罪の立場をとり、身代わりで罰を受けたのではないか。かばってもらった部下たちは恥ずかしさが込み上げた。その後、茶飲み場から煙が漏れることはなくなった。
取り締まりの目的は喫煙者の摘発ではなく、城内禁煙の実行にあることを利勝は身をもって家臣たちに示した。禁煙に限らず、命令というものの実を上げる方法について自ら範を示したのだ。
この話には続きがある。禁煙の実が上がったのを見届けて利勝は、秀忠に上申した。
「上様が煙草嫌いなのは承知しておりますが、取り締まりだけで喫煙の習慣を止めるのは難しかろうと存じます。時間と場所を限って喫煙をお認めになってはいかがでしょうか。煙草嫌いの上様が煙草好きの家臣たちに温情を示されるよい機会となるでしょう」
これを秀忠は受け入れて、江戸城内に日本初の分煙ルールと喫煙ルームが誕生した。父・家康に比べてカリスマ的統率力にかける二代目・秀忠の城内での評判は高まる。また秀忠は、何かにつけて口うるさい年上の利勝を遠ざけてきたが、この一件を機に彼に絶大の信頼をおくようになった。
部下を従わせるには
以下の話は現代の実話であるが、少々差し障りがあるので、「ある企業」の話として書いておく。同社のトップは無類の葉巻好きだった。同社では時流に合わせて早くから社内分煙に取り組み、社員には職場内での喫煙を厳しく禁じたが、聖域が存在した。トップの執務室だ。さらにトップが出席する会議だけは、会議室のテーブルに灰皿が配られた。
ダブルスタンダードである。これでは「トップだって吸っているじゃないか」と隠れ喫煙が止まない。男子が占有する喫煙ルームに入室をはばかられる喫煙女子社員たちは、給湯室、女子トイレで喫煙し吸い殻で汚れた。
トップの周辺は、ワンマントップが怖くて、職場内一律禁煙の実行を本人に諫言できない。「範を示せ」と誰も言えなかった。彼には、土井利勝がいなかったのだ。
国家であれば、諫言者を欠いては、隣国に無謀な侵略戦争を仕掛けて自ら窮地に陥ることにもなるだろう。
たかが喫煙問題だが、されど喫煙問題なのだ。
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
※参考文献
『徳川三代99の謎』森本繁著 講P H P文庫
『歴史に学ぶ「人たらし」の極意』童門冬二著 青春新書