■日本人を癒やしてきた湯治文化
定期的に「プチ湯治」に出かけている。本来、湯治とは「温泉に浴して病気を療養すること」で、数週間から数カ月、湯治宿に滞在し、じっくりと体を休めることである。現代では、農家の方や仕事を引退したお年寄りでもなければ、本格的な湯治はできないため、2~3泊のスケジュールで湯治宿に滞在する「プチ湯治」が主流だ。
私自身、今では当たり前のように1人で湯治を楽しんでいるが、初めて「湯治宿」に宿泊するときは、「いったいどんな雰囲気なのか?」「ずっと同じ宿に泊まっていて、退屈しないだろうか?」とドキドキしたものだ。
4泊5日の日程で初めて泊まった湯治宿は、群馬県・沢渡(さわたり)温泉にある「まるほん旅館」である。沢渡温泉は、山あいの小さな温泉地。歴史は古く、縄文時代から湧いていたという説や、1191年の開湯伝説も残る。源頼朝もこの湯に浸かったと伝えられており、江戸時代からは湯治場として入浴客を癒してきた。
十数軒の宿が並ぶ静かな温泉街は、人影も少なく、ひっそりとしている。沢渡温泉のまわりには、草津温泉、伊香保温泉、四万温泉、万座温泉などがあるが、これらの賑やかな人気温泉地とは一線を画す。湯治場特有のゆったりとした時間が流れている。
■廃業の危機を救った後継者
温泉の質は昔から定評があり、「草津の仕上げ湯」と評される。つまり、草津温泉の強酸性の湯に浸かった人々が帰途に立ち寄り、沢渡温泉のしっとりとしたやさしい湯で、肌の調子を整えたというわけだ。また、古くから「一浴玉の肌」と評判で、沢渡で湯治をすれば美肌になるといわれてきた。まさに元祖・美人の湯である。
創業300年の歴史を誇る「まるほん旅館」は、飾り気のない商人宿のような佇まい。しかし、檜をふんだんに使った館内は、やけに居心地がいい。
迎えてくれたのは、若旦那と若女将。実は、後継者がいなかった「まるほん旅館」は、一時、廃業の危機にあった。主人と養子縁組をしないと源泉の利用権を継承できないという沢渡温泉のルールが壁となっていたのだ。そんなとき「このまま宿がなくなるのは惜しい」と、主人の養子になったのが、今のご主人。当時、地元の銀行員をしていたご主人が志願し、自分の妻と一緒に経営を受け継いだという。
宿の最大の魅力は、混浴の大浴場。当時の私はまだ「温泉は露天風呂にかぎる」と思っていたが、一目で浴室の雰囲気を気に入った。檜をふんだんに使った浴室は、廊下から階段を下りたところにあり、上から湯船を見下ろす格好になる。趣のあるつくりは、かつて湯治客で賑わった頃、温泉街のあちらこちらで見られた「湯小屋」を再現したものだとか。
■浴室の美しさにうっとり
浴室には小ぶりの湯船が2つ。湯船の底には青石がモザイク状に敷きつめられ、窓から差し込む太陽光が透明湯を照らし、宝石のようにキラキラと輝いている。55℃の湯は「美人の湯」という名に恥じないやわらかさ。飲んでよし、浸かってよしの名湯である。
床も檜づくりで、湯船の形に合わせるように放射状に敷き詰められた板は、ほれぼれするほどの美しさ。混浴だが、女性専用時間もあるので、ぜひ女性にも大浴場を利用してもらいたい。
私は初めてのプチ湯治を満喫した。1日5回温泉に浸かり、散歩して、昼寝して、読書をする。ちょっと気分を変えたいときは、宿の隣にある共同浴場にも足を運び、地元の人と交流した。
「娯楽のない温泉地なので、飽きてしまわないか」という心配は杞憂に終わり、5日間はあっという間に過ぎていった。これ以降、私がプチ湯治の魅力にどっぷりはまっていったのは言うまでもない。現在では、温泉地に連泊してワーケーションするのも、自分のライフスタイルになっている。