二世教育には「シニア特有の心理への気づき」を是非とも含めたい。親は「よかれ」と思ってしたのだが、その真意は子には全く伝わっておらず、却って、「意地悪だの、ケチ」と恨まれていたことを成人後知らせれ、愕然としたという話はよく聞く。同様に若い世代はなかなかシニア特有の心理に気付かず、言っていることを、言葉通りにしか受け取れず、「なんで合理的な判断ができないのか」「頑固なわからず屋」と嘆いたり、苛立ったりする。同族経営の場合はこれが経営のきしみとすらなる。
若い人には「歳をとること自体がどういうことなのか」勉強して貰いたい。幼児は眼を見張るほど次々と新しいことができるようになるが、歳をとるというのはその真逆なのである。体力は衰え、記憶の方も昔ほどの冴えはなくなる。なかなか覚えられないし、ひどくなると直前の記憶が不確かになる。容貌は衰え、頑張る気はあるのだが、気力の方がトンとついてこない。
そのうえ、「目が見えにくい。人の言っていることがよく聞こえない。」となると、当然心情にも微妙な影響が及ぶ。朝目覚めると「ああこれでまた一日お墓に近づいた」と感じたりもするものなのだ。
歳をとって極端に弱気になる人もいるが、社会で活躍をしていた人は気弱になったらお終いとばかり、却って強がりを言うように思える。「侮られたくない」とか「落ち目になったと思われたくない」という気持ちもある。
子との力関係が微妙に変化することへの気づき、それを認めたくないという心理は、親子共同でファミリービジネスを経営している場合、更に複雑さを見せる。
更に加齢が進み、病気がちになったり、判断力に陰りがでてきても、最後まで自分で意思決定をし尊厳を保っていきたいのだが、肉体は思い通りにならずともすれば気折れしてしまう。自分自身不安なだけに、年寄り扱いをされると余計に腹がたつ。
シニアの人の言うことを「額面通り」に受け取らず、そう言わせてしまう心理にセンシティブになって欲しい。気持を分かち合って寄り添う。実害がなければその意見を立てる。自分の優しい気持ちを伝える。また、記憶が確かなうちに親がたどってきた人生を聞き取り、知恵を文章化するなどを勧めたい。しっかり役割を果たした、バトンをつないだという実感を得たとき、心が落ち着き、素直に状況の変化を受け入れてくれるようになるのではないだろうか。
親に対する具体的な老後ケアーについては拙著「50代にしておくべき100のリスト」を参照されたい。
ライフスタイルアドバイザー 榊原節子
近著紹介 2013年9月出版
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