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- 高橋一喜の『これぞ!"本物の温泉"』
- 第36回 甲子温泉(福島県) 濁り湯にはない「透明湯」の魅力
■濁り湯派? 透明湯派?
ある温泉で湯浴みを楽しんでいたら、友人同士と思われる2人の男性客が、こんな話を始めた。「ここの温泉は、透明だな」「ああ、俺は濁っている湯のほうが好きなんだけど……」「オレもそうだよ。透明の湯だと、『温泉に入った!』という気分にならないし、ありがたみがないよな」
日本人の中には、「濁り湯=最高の温泉」と思っている人が少なくない。湯船の底が見えないほどに濁っている温泉ほど人気が高い。その気持ちは、よくわかる。濁り湯のほうが貴重な存在であるのは確かだし、「温泉にやってきたぞ!」と気分も盛り上がる。
私も温泉めぐりを始めた当初は「濁り湯派」だった。だが、今は「透明湯派」である。寝返ったきっかけは、「濁り湯のほとんどが、湧出時は透明である」という事実を知ったからだ。
濁り湯は最初から濁っているわけではなく、地中では透明湯である。湧出時に空気に触れることで、温泉が酸化し、色を帯びる。つまり、濁っているということは、湯が劣化し、鮮度を失っている証拠と考えることもできるのだ。
また、さまざまな温泉をめぐる中で、「透明湯にもすばらしい名湯がたくさんある」ことを知ったのも、僕が透明湯派になった理由のひとつである。
ひと口に透明湯といっても、無個性な透明湯などひとつもない。よく見ると、わずかに色を帯びていたり、硫黄の香りがしたり、スベスベとした肌触りがあったり、それぞれに個性がある。そして、総じてやさしい入浴感であるのも特徴。濁り湯のように温泉成分が多量に含まれていないので、ゆっくりと長時間、寛げる湯が多い。
■巨岩から湧き出る神秘の湯
数ある透明湯の中でも特に印象に残っているのが、甲子(かし)温泉「旅館大黒屋」である。栃木県との県境も近い福島県南部に建つ山の一軒宿で、「日本秘湯を守る会」の会員宿でもある。
甲子温泉の歴史は長い。開湯は600年以上前。州安和尚によって発見された1384年が、甲子(きのえね)の年であったことから、温泉名が甲子温泉となったという。また、白河藩主の松平定信は、甲子の湯をこよなく愛し、この地に別荘を築いたことでも知られている。
旅館大黒屋の名物は、108段の階段を下りたところに湧く混浴の「大岩風呂」。150年の歴史をもつ大浴場の扉を開けた瞬間、ダイナミックな光景に圧倒される。縦5メートル、横15メートル、深さ最大1.2メートルの大きな岩づくりの湯船が、ドーンと横たわっている。50人くらいは一緒に浸かれそうなサイズである。
湯船の底は、天然の岩盤。まさに「温泉が湧いている場所に湯船をつくった」という格好である。照明を抑えた浴室内の雰囲気も神秘的。湯小屋の高い天井を見上げれば、6本の立派な梁が見る者を圧倒する。
■湯船を満たす2つの源泉
湯口は2つ。湯船の一角に鎮座する巨岩から、44~45℃のアツアツの源泉が湧き出しており、それが勢いよく湯船に注がれている。岩の上には鳥居が立ち、まさに「神の湯」といった佇まいだ。もうひとつは、湯船の底の岩盤からじんわりと自噴する31~34℃の源泉。湯が空気に触れることなく注がれる「足元湧出泉」である。
泉質は、単純温泉。無色透明の単純温泉は、驚くほどに澄みきっていて透明度が高い。湯船の底にある岩や石がクリアに見える。心まで洗われるかのような透明感だ。透明といっても、その度合いはさまざまであるが、日本でもトップクラスの透明度ではないだろうか。それほどに澄んだ、美しい湯である。
湯船に浸かったり、涼んだりをしていると、あっという間に1時間が経過していた。時間を忘れて、無理せず長湯ができるのも、透明湯の魅力である。