トップを味方につける
外交というものは、内政と、とくに権力内部の力関係と不可分の関係にある。中国のナンバー2で首相の周恩来が思い描く米中和解による外交の新基軸構築は、あまりに大胆なため激しい権力抗争を生み出す危険をはらんでいた。
一般に、トップがあまりに頑迷固陋(がんめいころう)で、新方針に踏み切れない場合、二番手がトップの地位を奪い取る方法がある。しかし、毛沢東の権力はあまりに巨大であった。さらに毛沢東周辺には、毛沢東の後継者に指名されている林彪(りん・ぴょう)(国防部長)、毛の夫人で紅衛兵運動を指導する江青(こう・せい)ら、「反米」一辺倒の保守派が大きな力を持っている。下手に動けば、周恩来は保守派や軍部の反感を買って粛清されかねない。
ナンバー2の周恩来が取れる道は、強大な権限をもつトップを味方に取り込むことだった。毛沢東は、中ソの国境紛争が拡大してソ連による核攻撃を過敏なほどに恐れていた。それが自らの権力の座を脅かすと見ていた。「そのためにも米国を味方に引き込む必要がある」と毛沢東を説得した。
ニクソン政権発足直後、毛沢東は、軍の最高級幹部に軍事戦略の再検討を命じる。数ヶ月後、彼らは、「ソ連に対抗するために米国と手を結ぶべきだ」と答申した。強大な独裁権力下では、軍もトップの意思を忖度(そんたく)する。周恩来は国防部長を飛び越えて軍を味方に取り組むことに成功した。
米中間に横たわる課題
水面下での米中接触を経て、1970年1月、ポーランドのワルシャワで両国の大使級会議が始まり、翌年7月には、キッシンジャーがパキスタン経由で極秘に北京を訪問して周恩来と会談する。この間、周恩来は、狙い通り権力闘争に勝ち残り、林彪の反対を抑え込んで対米接近路線を党の路線として確立する。
この時点で、中国が脅威として認識しているのが、ソ連の軍備増強と、実態は別としても理論的には日本の軍事大国化だった。
ソ連の軍備増強に関しては、米ソの間で欧州での核ミサイル配備に関してデタント(軍縮)の動きがある。毛沢東はこれに関して、米ソのデタントが進めば、浮いた軍事費が中ソ国境に売り向けられて、米ソが共同して中国への軍事圧力を強めるのではないかと懸念した。
日本の脅威に関しては、毛沢東の目には、日米安保条約の存在、沖縄米軍基地に核が持ち込まれていることも中国敵視政策の象徴として映る。さらに大きな問題としては、台湾を中国の一部として認めるか否かの問題がある。いずれも毛沢東を納得させる外交成果がなければ、米中和解は成立しない。周恩来にとっては政治生命を賭けた交渉となる。
先手を取って譲歩を引き出す交渉術
第一回の周・キッシンジャー会談から、二人は両国の和解のための基本問題について、鋭く議論を交わす。大原則である「一つの中国」問題について、周恩来は、「政治的変化と我々の友好のために次のことが必要だ」として三点の確認を米国に求める。
① 中華人民共和国政府が中国人民を代表する唯一の正当な政府である
② 台湾は、中国の譲ることのできない一部である
③ 台湾独立運動を支持しない
周は繰り返しこの原則の承認を迫り、近い将来のニクソン(大統領)訪中実現の条件とした。会談録を読むと、その気迫にキッシンジャーは押され気味だ。「少し時間が欲しい」と答えているが、結局、ニクソンは米中関係改善の条件として「一つの中国」を飲む。
合わせて、周は、台湾の旧宗主国である日本が台湾への軍の派遣、駐留を阻止ことをキッシンジャーに認めさせる。揺らぐことなく原則を押し通し、さらに将来の懸念も幅広く封じておく。会談はひるまずに畳みみかける周恩来ペースで進み、米国は譲歩を重ねていく。
そして、日本の軍国主義復活について。キッシンジャーにこう本音を言わせることにも成功する。
「日本が再軍備すれば、やすやすと1930年代の(アジア侵略)政策を繰り返すことができるでしょう。(中略)日本にある我々の基地は純粋に防衛的なもので、彼ら(日本)自身の再武装を先送りにすることができるでしょう。我々は日本をあなた方に向けて使っているのではありません」
台湾問題、そして日米安保=ビンの蓋論ともに現在の極東情勢に尾を引いている。先手を取った周恩来の巧みな交渉術は、米中関係改善を急ぐ大国・米国の極東外交を縛りつけることになった。
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
※参考文献
『周恩来 キッシンジャー秘密会談録 毛利和子、増田弘監訳 岩波書店
『キッシンジャー秘録 3北京へ飛ぶ』ヘンリー・キッシンジャー著、桃井真監修 小学館
『キッシンジャー回想録 中国(上、下)』ヘンリー・キッシンジャー著、塚越敏彦ら訳 岩波現代文庫
『ニクソンとキッシンジャー』大嶽秀夫著 中公新書